新しい挑戦の「入り口の石」は開かれているか?

2019.5.30

livest!編集部

舞台「海辺のカフカ」を観劇して(エンタメ観劇記録)

上質なエンタテインメント観劇やスポーツ観戦、アート鑑賞から人生を豊かにする教訓を探るlivest!流エンタメブログ

村上春樹さんの10作目の長編小説であり2002年に発表された「海辺のカフカ」。

2人の登場人物によるパラレルワールドが徐々にシンクロしていくストーリーで、主人公の名前の通りフランツ・カフカの思想的影響だけでなく古今東西さまざまな古典名作からのインスピレーションが随所に盛り込まれた幻想的な小説。

世界的評価も高いこの小説を舞台化した「海辺のカフカ」は2012年初演以来、日本だけでなく世界各国で上演されてきた。今回3度目となる舞台化は初演から続いての蜷川幸雄さんの演出。

村上春樹さんと蜷川幸雄さんという世界的評価を受ける日本を代表する2人のアーティストが表現する魅惑的で幻想的な舞台は、観劇後も一言では表現できないずっしりと重い思いを胸に残してくれる。

私たちの人生とは何かーーそんな大袈裟なことではないかもしれないが、自分の歩んできた道を振り返り、そして目の前に続く道の先を目を細めて見ようとしてしまう、そんな不思議な心境を引き起こしてくれる。

2019年5月30日

舞台「海辺のカフカ」

新しい挑戦の「入り口の石」は開かれているか?

村上春樹さんの代表作の舞台化。
2012年の初演以来、活動の幅が広がり、2015年には5大都市を巡業する世界ツアーも行われた舞台「海辺のカフカ」。

今回、5年ぶりとなる東京公演は、日仏友好160年記念として開催された「ジャポニスム2018」の目玉企画として2019年2月にフランスの国立コリーヌ劇場で上演されたのち、5月21日から6月9日まで上演されている。

演出は蜷川幸雄さん。
蜷川さんだからこそ実現することができた企画であり、表現できた作品なのだろう。そして舞台設定がドメスティックにも関わらず世界各地で舞台が上演されたのも、もちろん村上春樹の代表作の舞台化というネームバリューも大きいが、蜷川さんの演出作品だからということも少なくないだろう。

東京の赤坂ACTシアターで日本人の役者たちが日本語で日本を舞台にした作品を観劇していると気づきにくいが、目の前の舞台上で演じられている作品そのものがフランスの国立劇場で上演されたということ。そして2015年に上演されたロンドン公演以来、再びパリでの公演オファーがあったということ。

村上春樹さんと蜷川幸雄さんという日本という小さな島国の文化圏を突き抜けた2人のアーティストの世界での評価の高さを私たちは改めてしっかりと受け止め、心からの賞賛と日本人としての誇りを抱かなければならないだろう。

舞台作品の設定や登場人物、主なあらすじは小説版に則っている。しかし、村上春樹さんの独特の幻想的な世界観をベースにしつつも、蜷川幸雄さんの演出によって小説というアウトプットとはまた違った舞台作品としての新しい「海辺のカフカ」の表現としての印象が強かった。

「世界でもっともタフな15歳になる」と心に誓う田村カフカと、猫と会話ができる不思議な老人ナカタさんの2人のまったく別の人生が徐々に近づき絡み合う複雑なストーリー構成を、幾つもの巨大なアクリルの箱を使うことによって舞台上でも見事に表現されていた。

アクリルの箱の中で進む閉じられた小さな世界で起こる場面が、アクリルの箱の入れ替えによって毎回分断され、点が線に繋がりそうで繋がらない違和感。そしてアクリルの壁をあえて隠そうとせず、アクリル板によって生み出される不思議な光の反射を使った独特の照明演出。村上春樹の現実と非現実が入り混じるファンタジーな世界観が観客をどんどん引き込んでいく。

何個ものアクリルの箱が舞台上を行き来し、動き回り、入れ替わる。その中で役者たちが時にアクリルの箱の中に入って演じ、時にアクリルの箱の移動の隙間を走り回る。

すべて細かい意味が込められたアクリルの箱の複雑な動きを、これだけ円滑に行うために一体どれだけの準備が行われ、どれだけ細かいリハーサルが繰り返されたのだろう。

アイデアレベルでは出せるかもしれないこの演出方法を実現してみせ、しかも作品の世界観を幾重にも厚みを増す効果を引き出した演出家としての蜷川幸雄さんの執念と強さに改めて驚嘆する。

毎回ノーベル賞候補と言われ、数々の世界的名作を生み出す大作家の作品を舞台化する。しかもその作品は複雑で幻想的で視覚化が非常に難しい種類のものだ。このチャレンジはクリエイターにとって非常なる栄誉であり好機であるとともに、演出家としての重圧や責任の重みは常人には想像できないほどだっただろう。

小説作品の完成度が高ければ高いほど、舞台化や映像化が陳腐なものになる悪例は枚挙に遑がない。その熱狂的なファンを失望させた失敗作は過去いくらでも存在する。

今回の舞台版「海辺のカフカ」でも、小説版と同様にわかりやすい結末や暑苦しい教訓は一切示されない。それでも観る者の心の奥底に引っかかって取れない魚の骨のような違和感は、劇場を後にしてもなかなか消えることはない。劇場の外に出た途端、舞台上の世界につながったパラレルワールドに迷い込んだように。

それはまるで私たちの心の中の「入り口の石」が開かれてしまったかのように。

新しいものを創造する。出来上がりにあれこれ批評することは簡単だ。しかし何かを生み出し、それを多くの人の前に出す。その注目度が高いほど期待値が高いほど重圧は高まる。

その重圧を避け、批評する側に留まることは簡単だ。特に今、ちょっとしたきっかけや言葉尻の捉えられ方で日本中からバッシングを受ける様子は日々目に入る。出る杭は打たれるというよりも、打つための打ちやすそうな杭を多くの目が監視し探し回っている世の中だ。

新しい挑戦の一歩を踏み出す人は「世界でもっともタフになる」と決意しなければならない。たとえその挑戦が個人的で誰に迷惑をかけるわけでもないことも、予想外の方向から非難の矢が襲いかかることもある。

この作品を見た人の心の中の「入り口の石」が開かれたとしたなら、その開かれた先が悪夢の出発点となることなく、新たな創造のきっかけになることを願う。

舞台「海辺のカフカ」

東京凱旋公演

日程:2019年5月21日(火)~6月9日(日)
会場:TBS赤坂ACTシアター
主催:TBS/ホリプロ
協力:新潮社/ニナガワカンパニー/ANA
企画制作:ホリプロ原作:村上春樹

<スタッフ>

脚本:フランク・ギャラティ
演出:蜷川幸雄
演出補:井上尊晶
翻訳:平塚隼介
美術:中越司
照明:服部基
衣裳:前田文子
音響:高橋克司、鹿野英之
ヘアメイク:河村陽子
音楽:阿部海太郎
舞台監督:平井徹
技術監督:小林清隆
プロダクション・マネージャー:金井勇一郎

 

<キャスト>

佐伯/少女:寺島しのぶ
大島:岡本健一
カフカ:古畑新之
カラス:柿澤勇人
さくら:木南晴夏
星野:高橋 努
カーネル・サンダーズ:鳥山昌克
ナカタ:木場勝己

新川將人、 妹尾正文、 マメ山田、 塚本幸男、 堀文明、 羽子田洋子、 多岐川装子、 土井ケイト、 周本絵梨香、 手打隆盛、 玲央バルトナー

関連記事