「本当の自分」はどこにいる?

2019.6.3

livest!編集部

舞台「ハムレット」を観劇して(エンタメ観劇記録)

上質なエンタテインメント観劇やスポーツ観戦、アート鑑賞から人生を豊かにする教訓を探るlivest!流エンタメブログ

シェイクスピアの代表作のひとつであり、これまで世界中で数多く舞台化されている「ハムレット」。

シアターコクーン“DISCOVER WORLD THEATRE”シリーズ第6 弾として、上演された今回の「ハムレット」は、ロイヤル・ナショナル・シアターのアソシエイトディレクターであり、「Shakespeare Theatre Company」芸術監督を務めるサイモン・ゴドウィンが演出。

本場イギリスでいくつものシェイクスピア作品を手がけた名演出家による「ハムレット」は、シェイクスピアへのリスペクトを土台に、新しい解釈や演出方法を取り入れた見応えのある舞台だった。

誰もが知る大人気作品であり、古今東西数多く上演されてきたハムレットだが、今回もまた新しい気づきをたくさん見つけることができた。それは私だけの気づきであり、同じ舞台を観た人はまた違った気づきを見つけただろう。

なぜなら、ハムレットは見る側の現状や環境、心境によってさまざまな表情を見せる「演じる者たち」の舞台だから。

2019年6月3日

舞台「ハムレット」

「本当の自分」はどこにいる?

イギリス文学史上もっとも有名で、演劇の題材としてもっとも上演回数が多いと言われる「ハムレット」。
シェイクスピアの四大悲劇のひとつとして人気も高く、日本でもこれまでさまざまな演出家による舞台が上演されてきた。

この作品が古今東西数多くの演劇人に題材として使われるのは、それだけこのハムレットが多様な解釈ができる奥深い作品だからだろう。
同じハムレットを演じるにも関わらず、演出家や主役たちが入れ替わるたび、観劇後に毎回違う受け止め方ができてしまう。そんな作品は演劇界全体を眺め回してもそれほど多くはない。
ハムレットは演出家や主演者たちの人生観や芸術的観点を試されるだけでなく、観る側の価値観や今の環境や心境をはっきりと浮かび上がらせる試験紙のような存在だと言えるかもしれない。

登場人物が放つセリフひとつ取り上げても、心にスッと染み込むようなキメの細かい美しさを持つ反面、頭で受け止めようとした途端に迷宮に入り込んでしまうような隠喩的で複雑怪奇な重みを持つ。
登場人物が流暢に語る言葉の中に、時に突発的で、前後の流れから大きく逸脱したようなセリフが混じる。聞き流しても支障はないが、吟味しようとした瞬間、次の展開が頭に入ってこないほど意識に深く食い込んでくる。

「to be or not to be」
誰もが知るハムレットが劇中につぶやくこのセリフも、ストーリーを左右するほどのカギを握るものではないにも関わらず、この一文だけでさまざまな訳や解釈が生まれている。
「生きるべきか、死ぬべきか」
このもっとも有名な訳を表面上の意味だけで捉えれば、劇中に発せられる場面では全然しっくりこない。それでもこの舞台作品全体を通して目線で捉えれば、この訳もありなのかもしれないとも感じさせるし、もっと自分的な解釈で適した言葉に置き換えることもできそうな気がする。
その解は受け手の現状や環境、心境によって大きく左右される幅を持つ。

「ハムレット」は登場人物のほとんどが、何らかの役を演じている。
現デンマーク王のクローディアスは、亡き兄のハムレット王のあとを継ぐ新たな王として、威厳ある君主を演じるとともに、兄の息子ハムレットの新たな父親として良き理解者を演じる。
先代の王の妻だったハムレットの母ガートルードは、元夫の実弟と時間を置かず再婚しつつも、実父の死の悲しみが癒えない息子ハムレットを想う良き母を演じる。
そしてハムレットは、実父の死がクローディアスの陰謀だと疑い、復讐を実現するために狂人を演じる。

クローディアスは、亡き実兄の不慮の死を悲しみつつもその遺志を継ぐため王になったのか。それとも謀殺の主犯であることをひた隠しにして念願だった王座に座っているのか。
ガードルードは、愛する夫を失った不幸な王妃なのか、クローディアスと結ばれるために元夫の死を誘導した恐ろしい女なのか。
ハムレットは狂人を演じているだけなのか、実父の亡霊が見えるほど本当に気がおかしくなってしまったのか……。

ハムレットが実父の仇を討つために、狂人のふりをして機会をうかがい現デンマーク王クローディアスを殺すーー
舞台「ハムレット」のストーリーの軸はシンプルで、誰もが簡単に理解できる一本道の軌跡を辿る。
しかし、閉幕後、感激した者の胸の内にはたくさんの「なぜ?」が残る。
それは主要な登場人物たちのほとんどが、表層的な役割を演じつつも本心は決して明かさない「演じる者」たちの群像劇だからかもしれない。

それはまさに今私たちが生きているリアルなこの世そのものだ。
会社に行けば「その組織に属する私」を演じ、家に帰れば「父や母としての私」を演じ、友人と会えば「仲間の中の私」を演じる。
どれもが本当の自分のようで、どれもが本当の自分ではないようで……。
自分の中にたくさんの「本当の自分」が同居しているーーもしかすると、それが本当の私なのかもしれない。

ハムレットの登場人物たちが「本当の自分を演じる」のは、自分の好き勝手からでなく、ある面、相手に「期待されている私」を演じている。
クローディアスは兄のあとを継ぐ新たな王と周囲に認められるような王として、ガードルードは元夫の死を悲しみつつ気丈に振る舞い周囲からの同情を誘う王妃として。そしてハムレットは次期国王候補という周囲からの期待に応える王子として、そして実父の死を悲しみ復讐を誓う息子として……。

今を生きる私たちが演じる理由も同じかもしれない。
会社の役職や父親・母親という肩書きや役割を演じているだけでなく、上司や部下の理想の会社員と思ってもらえるように演じ、理解あるよき父、優しい母と思ってもらえるように演じている。
それは自主的でもあり、時として強制的な演技となることもある。

私が今、舞台「ハムレット」を観ているのは自分が観たいからなのか、古典名作を観ている自分を演じているのか。ハムレットを理解しているのか、理解している自分を演じているのか。
ハムレットは狂人のフリをしていたのか、亡霊を見たと思うくらい本当に気がおかしくなってしまっていたのか。
本当の自分とは何か?
もしかするとそんなものは最初からなくて、私たちは常にその場その場で求められる役を演じ続ける「演じる者」なのかもしれない。

シアターコクーン・オンレパートリー2019 DISCOVER WORLD THEATRE vol.6
Bunkamura30周年記念

「ハムレット」

東京公演
2019年5月9日(木)~6月2日(日)

 

<スタッフ>

作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:河合祥一郎
演出:サイモン・ゴドウィン
美術・衣裳:スートラ・ギルモア
企画・製作:Bunkamura

 

<キャスト>

岡田将生
黒木華
青柳翔
村上虹郎
竪山隼太
玉置孝匡
冨岡弘
町田マリー
薄平広樹
内田靖子
永島敬三
穴田有里
遠山悠介
渡辺隼斗
秋本奈緒美
福井貴一
山崎一
松雪泰子

 

 

 

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