自然の摂理に感謝する心を失っていないか

2019.1.16

livest!編集長

 

「便利さ」を最優先しがちな現代社会を客観的に見つめ直してみよう

編集長のlivest!ログ

2019年1月16日

自然の摂理に感謝する心を失っていないか

 

タイ・バンコクで深刻な空気汚染のため、人工的に雨を降らせる施策がとられたというニュースがあった。

現在、バンコクではPM2.5などの大気汚染が常態化し、市民の多くがマスクをつけて生活しているという。一時期、中国・北京で見られたのと同じような街の様子が映像として映し出されていた。

そんな深刻な状態の大気中の汚染物質を雨で洗い流そうというのが、今回の施策の意図だった。

飛行機から塩化ナトリウムを散布して雨雲を作り出すというやり方で、バンコクの上空に2機の飛行機から大量の塩化ナトリウムが散布された。

その後、期待通りバンコクには恵みの雨が降り、多少の大気汚染の緩和が見られたようだ。

このニュースを見て、そのうち近い将来、政府が天気を決定して自由に雨を降らせたりすることが、少なくとも技術的にはできるようになるだろうと感じた。

それが便利な世の中だと考えるか、行き過ぎていると考えるかは、多くの人の意見は半々くらいかもしれない。しかし、今、自分たちが行きている現代は、AIや宇宙空間事業などの科学的進歩が急で、自然の摂理を人間の意思が超越していると考えさせられる場面が増えてきている。

人間はどこまで便利を追求するべきなのか?

例えば、私たちは石炭や石油を発掘してそれを燃やし電力を生み出す。その電気を使ってエアコンなどで暑い夏も涼しく、寒い冬も暖かく過ごすことができている。夏のホテルやデパートは寒いくらい冷えているし、冬の電車は暖房が効き過ぎて汗が止まらないほどだ。

これらのことはほとんどの人にとって当たり前のこととして無意識に受け入れていることが多い。

しかし、これも人間の〝便利〟によって自然の摂理に逆らう行為であり、人工的に天気を操ることと根本的には変わらない。

もちろん自分自身、「便利な世の中」の利便性を享受し、厳しい自然の摂理から守られた世界に生きている。ただ、そのことを当たり前のこととして無自覚に受け入れ続けることには違和感を感じ始めている。

「人生を豊かにする」ことをめざすために、どれだけの自然の摂理を覆しているのかーー。そのことを頭の中心に置くことを忘れず、今日も寒い冬でも暖かい室内で過ごし、自分の人生を一歩前に踏み出そうと思う。

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