「食」で肉体は蘇る!40歳Jリーガーの体質改善物語(第3回)
40歳で子どもの頃からの夢だったJリーガーとなった安彦考真選手。しかし、全力疾走を続けた3シーズン目、ついに身体中から悲鳴が上がった。
4年目となる2020年シーズンをラストイヤーと決めた安彦選手は、決意を新たに万全の準備を進めようとしたが、満身創痍の身体は思い通りには動いてくれなかった。
コロナウイルスによるJリーグ開幕延期によって、見えなくなった安彦選手のラストイヤーのスタートライン。しかし、こんな状況だからこそ、自分のできることをすると考えた安彦選手は、闇雲に体を鍛えるのではなく、体質を根本から改善することを試みる。
これは40歳でJリーガーとなった1人の男が徹底的に「食」を見つめ直し、さまざまな療法に取り組んだプロセスを赤裸々に語る物語だ。
「食」に関するさまざまなアプローチを実体験し、その時々の心境や結果を正直に綴った安彦考真選手による「40歳から始める体質改善」のリアルストーリー。
Vol.1はコチラ→ http://www.livest.net/real/4827.html
Vol.2はコチラ→ http://www.livest.net/real/4833.html
「食」で肉体は蘇る!40歳Jリーガーの体質改善ストーリー vol.3
Vol.3
誰も挑戦しないなら、僕がやる
安彦考真
僕にとって2020年の春は苦い思いの連続だった。
今シーズンを現役最後と宣言し、万全の状態で臨むはずだった3月9日のシーズン開幕戦。
しかし、僕はプレシーズンの始動直後にケガでチーム練習から離脱。開幕戦の出場はほぼ不可能という診断を下されて、落ち込んでいた。
さらに、毎年恒例の花粉症に襲われ、心身ともに大きなダメージを受けてしまっていた。
そんな時にJリーグの開幕の延期が発表され、またその後も社会状況が良化しないこともあり、何度も開幕の延期の発表が続いた。
決して喜ぶべきことではないし、実際に今シーズンの開幕の有無さえわからない状況であるけれど、少なくともシーズンの開幕に間に合わせるための時間の猶予を与えてもらった。
折れそうになった気持ちを再び奮い立たせ、僕はリハビリを頑張る決意を新たにした。
しかし、その後の状況は刻々と深刻の度合いを深め、「果たして今、サッカーなんてやっている場合なんだろうか」という気持ちが時折僕の脳裏にちらついた。
Jリーグは先の見えない自粛期間の延長へと入っている。実際に仲間であるJリーガーからも感染者が出たというニュースも目にした。多くのチームはチーム活動自体を完全にストップし、選手やスタッフは離れ離れになった。
「こんな時だからこそできること」
そんなフレーズ使いながら、サッカー界からメッセージを送る取り組みをし始める選手やチームも出てきた。僕も今の環境の中でできる範囲内でさまざまな活動を行なった。
そんな時、ふと「僕はなぜ今年を選手生活のラストイヤーにしたのか?」という思いが頭をよぎった。
世界中から発信される悲しくつらいニュースに影響され、自分自身の初心をすっかり忘れてしまっていることに気づいた。
僕が今年1年でJリーガーを辞める理由。
それは、僕がJリーガーとしてできる最大限のことをフルパワーで続けた場合、1年が心身の限界だろうと考えたからだ。
Jリーガーとしてチームの勝利に貢献すること。そしてプレーを通じて多くの発信をし、1人でも多くの人の人生のプラスになるきっかけを提供すること。例え試合に出られなくても全力を尽くすその姿勢を見てもらうことで、誰かの救いの一助になること。
そんなJリーガーとしての本来の役割と並行して、僕はJリーガーだからこそできる別の分野とのリレーションを創出し、世の中に新しい価値観を提案することをめざしていた。
自分自身が改善すべきだと思う社会の問題を学び(例えば教育問題)、その学ぶ姿勢を発信する。
内容的にはまだ未熟な発信でも、Jリーガーによる発信ということなら、1人でも多くの人の目に留まるかもしれない。
また、僕が取り組む課題に対して、よりリアルな実情を知りたいとその業界のトップリーダーに取材オファーを出したくなるとする。普通ならなかなか会うことのできない多忙な人でも、Jリーガー相手なら興味を持ってくれて少し時間を割いてくれるかもしれない。
そして、その分野でのトップリーダーに会うことで、自分の疑問や未知の部分をクリアできると同時に、その経緯や学びの内容を詳しく発信することで、多くの人に現在の課題と解決方法を知ってもらう機会を作れるのではないか。
さらに、地域密着を活動方針の1つとしているJリーグの所属選手ということで、地域の自治体の専門家の方や、公共施設の職員の方、また地域の大学などの教育機関の関係者の方にも、地域の仲間として胸襟を開いてくれやすいかもしれしないし、地域密着の活動も実現しやすいかもしれない。
Jリーグというトップリーグの中でプレーする一員として、日々鍛錬を積み、体調管理を徹底し、子どもたちに夢を与えるために全力を尽くす。
そんなJリーガーとしての本来の役割に加えて、社会の隠れた問題を提起し、他業界の人たちと会うなどのフィールドワークを行い、その経過報告を書き留めて発信するという活動を同時に行うことは、想像以上にとても大変なことだ。
もちろんどちらも中途半端になってはいけないし、特にプレー面で期待に応えられない場合、「別のことをやっているからだ」という批判を受けることは必然だ。
でも、やりたい。誰もできないからこそ、自分がやりたい。
40歳でJリーガーになると宣言したこと、そしてその無謀だと言われた挑戦を実現したこと。それは僕しかできないことではなかったはずだ。
もしかすると僕以上に選手としての結果を出せる人もいたかもしれない。ただ、誰も今までチャレンジしなかっただけだ。
今度も、誰も挑戦しないなら、僕がやる。そう決めた。
そう決めたのは昨シーズン終盤のリハビリ中だった。
40歳オーバーで、15年のブランクを経て、トップリーグでプレーして2年。正直、体はボロボロだった。
そんな体で、二足の草鞋を履いて両方とも手を抜かずに全力疾走し続けるのは、今年1年が限界だろう、そう考えたのだ。
もしかすると、今年1年を最後のシーズンと決めて、選手としての活動に専念すれば、3年間のJリーガーとしての集大成として、自分なりにベストな結果が出せたかもしれない。
しかし、それで満足して現役を退いた後、僕の手元に残っているのは「元Jリーガー」という肩書きと、そこらじゅうボロボロになった40オーバーのおじさんの身体だけだ。
世の中に少し注目された「40歳Jリーガー」の賞味期限が切れてしまった引退後の僕と、現役Jリーガーとして奮闘している今の僕とでは、夢の実現の度合いは天と地との差であることは間違いない。
もっと言えば、僕は自分の子どもの頃からの夢を叶えるためにJリーガーになったのではなく、Jリーガーという手段を使って、世の中に何を残せるかというテーマを抱いてJリーガーをめざしていた。
100年後の日本社会をより良くするために何を残せるか。残すためには今だからできることをする。現役中だからこそできることがあると確信していた。
だからこそ、現役最後のシーズンにやるべきことを両立させる。しかも両方とも全力で。そう決意したことを思い出した。
僕の心に再び熱い炎が吹き上げた瞬間だった。
(つづく)
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