安彦考真新連載「好きなことをしてお金を稼ぐ7つのルール」第2回
安彦考真
新連載
「好きなことをしてお金を稼ぐ<7つのルール>」
第2回
「自分の『好き』をとことん大切にする」
僕は物心ついた頃から運動することが好きだった。
学校ではずっと一番好きな教科は「体育」か「給食」(笑)。
友だちを見つけると、すぐに走ったりボールを投げたり蹴ったりして遊んだ。
僕がサッカーというスポーツに出会うのに時間はかからなかった。
それ以来「生涯の親友」として、サッカーはずっと僕にとって大きな存在だ。
君の中にもたくさんの「好き」があるだろう。
そして「好き」なことをやっている時はとても楽しく幸せな時間だろう。
僕にとってそれはサッカーだった。
子どもの頃は、誰もが将来の夢といえば「好きなこと」を思い描いた。
Jリーガーやプロ野球選手、アイドルやモデル、お花屋さんやパティシエ……今ならYouTuberが候補に挙がるかもしれない。
けれど、大人になった途端、「好きなことを仕事にする」ということを、みんながとても大変なことだと捉える節がある。
それはなぜか?
1つ言えることは、自分の周囲に「好きなことを仕事にしている」人がいないことじゃないか。
そう僕は睨んでいる。
例えば、もっとも身近な大人であるお父さんやお母さん。
彼ら彼女たちは毎日楽しそうに職場に向かっているだろうか?
ほとんどの人にとって、子どもの頃の朝夕の記憶は、忙しくバタバタと会社に向かう無愛想なお父さんの背中や、疲れ切ってダラダラとテレビを見て過ごしている帰宅後のお父さんの姿だったりする。
もちろん、お父さん、お母さんは、家族として、人間として大好きだ。
僕たちを育てるために嫌なことも我慢して、一生懸命働き、お金を稼いでくれているお父さん、お母さんには感謝してもし足りない。
けれど、そんなお父さんみたいな大人に憧れたかと言えば……となってしまう人も少なくないだろう。
むしろ「お父さんみたいにならないためにも、しっかり勉強しなければ……」と反面教師にしたという人もいるかもしれない。
僕の父親もそれに近い存在だった。
一生懸命働いてお金を稼ぐ。
そのお金で、僕は学校に行けたし、大好きなサッカーを思う存分できた。
もちろん欲しい物がなんでも買ってもらえたわけではない。でもそれは僕の周囲の友だちはみんなそうだった。
同じ会社に勤続50年。
半世紀という成人してからのほぼすべての歳月を1つの会社に捧げた父。
その偉業には頭が下がるし、自分には絶対に真似できないとんでもない大記録だと心から尊敬している。
けれど……。
けれど、その一方で「自分にはできない」という気持ちも同じくらいある。
もっと正確に言えば「会社に人生の大半を捧げるのでなく、自分の好きなことだけにすべての時間を捧げたい」という思い。
父親がとてつもない鉄人的勤労人生を歩んでいる姿を家族として見ていたからこそ、そう感じていた。
父親の生き方に文句を言うつもりは一切ない。
そうではなく、どうせ人生の大半の時間を捧げるのなら、相手は自分がもっとも「好きなこと」でありたいという気持ち。
両親への感謝の気持ちと反比例するこの複雑な思いは、これを読んでいる人の多くの人たちも経験したことがあるはずだ。
20歳そこそこで社会のことなどわからないまま入社した会社。
一度所属した組織だからということだけで、50年近くを捧げるのは僕はイヤだ。
「好き」なことだから、たった一度の人生のかけがえのない時間と労力を注ぎ込む。
僕は鉄人級の勤労者である父親の半生から「好き」を大切にするということを学んだ。
親父、改めて言う。
本当にありがとう。
今、1人の男として、同じように年齢を重ねつつある今、感謝してもしきれない。
そんなこんなで、僕は子どもの頃から「絶対に大好きなサッカーを仕事にするんだ!」と心に誓っていた。
強く強く胸に刻んでいた……つもりだった。
けれど、そんな子ども時代の強い思いも、年齢を重ねるにつれて徐々に淡く儚く消えていった。
大人になるということは現実を知ること。
僕は世の中の厳しいルールを前に、いつの間にか「好き」の気持ちを見ないように目を逸らすことに慣れてしまっていた。
そして、2016年。気がつけば、僕は40歳になっていた。
人生の折り返し地点をちょうど過ぎたあたり。
その頃の僕は、人生の荒波を「そこそこ」うまく乗りこなしているように思っていた。
いや、正確には思い込もうとしていたと書く方が真実に近いかもしれない。
「自分は特別だ」
そんな言葉を呪文のように心の中で呟きながら、僕はいつの間にか大人になっていた。
ある時、ふと自分のまわりの同年代、そしてその前後の世代、30代から40代にかけての人たちを見渡してみた。
そこには、当時の僕と同じように、自分に対して「そこそこ」だ洗脳をしている人たちばかりが目についた。
もしくは、もっと世の中を達観して「これくらいのささやかな人生が、むしろ俺らしい」と自分を説得し終わった人たちも少なくなかった。
僕はそんなつまらない大人たちに囲まれながら、無作為に時を過ごしていることに気がついたのだ。
誰にでも「好きなこと」はあるはずだ。
それは音楽かもしれないし、文学かもしれないし、スポーツかもしれない。
けれど、それらはあくまで趣味の範疇にとどめておいて、ほとんどの大人たちは、特別好きでもない人間関係の中で特別愛着もない商材を取り扱うことを仕事に選んでいる。
満員電車に揺られ、リストラ対象にならないように存在を消し、生活のためのお金を稼ぐ。そして少し余ったぶんで「好きなこと」を楽しむ……。
それが悪いことではないことは知っている。
それでも、たった一回しかない人生。
僕はそんな人生は嫌だった。
その時、思い出した。
僕は「そんな人生には絶対にしない」と子どもの頃に誓ったんだった、と。
その瞬間、僕は子どもの頃からの「好き」を仕事にして「好きなこと」をしてお金を稼ぐと決めた。
そうと決めたら、僕の行動は素早かった。
その時、僕が手にしていたのは、同年代の平均よりかなり高い年収と、面倒な人間関係も多々あるけれど、それなりに楽しい仕事。
そして、誰もが憧れる人気スポットの高層マンションの最上階ペントハウスでの暮らしと、夜な夜な出かける楽しい夜遊びの時間。そしてそこで一緒にバカ騒ぎしてくれる成功者の部類に属する有名人たちの遊び仲間。
これらを手にしている僕は、他の同年代の人たちとは違うと思っていた。
多くの人が羨ましがるキラキラした生活を手にした「人生の勝ち組だ」と思い込んでいた。
今の僕ならはっきりわかる。
それは、自分が子どもの頃から大切にしていた「好き」を封印している、その後ろめたさを隠すための虚しい空騒ぎだった、と。
だから、そんな豪勢な生活や、それを支える高収入な仕事をすべて捨てることに躊躇はなかった。
突然「辞める」と電話した時、クライアントは驚き、懸命に引き留めてくれた。「辞めるにしても、契約期間いっぱいまでは」と。
でも、僕は「いますぐ辞めたい」と有難い言葉を遮った。
僕の強い決意を前に、すべての仕事のクライアントたちは諦め、契約終了を了承してくれた。
その時、恐怖はまったくなかった。
むしろ僕を縛るキツい縄から抜け出せてホッとしたくらいだった。
2016年。
40歳にして、僕は「自分の好き」に忠実になると決めた。
「好き」を貫くことに年齢は関係ない。
それはドラマチックな映画のセリフのようで、大人になるとなぜか避けてしまいがちになる。
けれど、子どもの頃は躊躇なく言葉にできた。
「サッカーが大好きだ」「サッカーを仕事にしたい」と。
子どもの頃にできて、大人になってできないはずはない。
僕はもう一度、何十年かぶりに子ども時代に散々発したそのセリフを口にした。
「サッカーが大好きだ」「サッカーを仕事にしたい」と。
その時、肩の力がフッと抜けると同時に、胸の奥底から最近感じたことのないような激しい高揚を感じた。
僕は40歳になって、改めて自分の心の奥底に絶えず鎮座していた「好き」の根源を、もう一度掘り起こすことに成功したのだった……。
教訓1
自分の「好き」という気持ちをとことん大切にすることが、人生をハッピーにする
(つづく)