安彦考真新連載「好きなことをしてお金を稼ぐ7つのルール」第5回
新連載
「好きなことをしてお金を稼ぐ<7つのルール>」
第5回
「思考を追い込むことでしか、大切なことは発見できない」
安彦考真
初めて〝あの人〟と会った日のことは忘れられない。
その時の僕は精神的にどん底の状態だった。
ただ落ち込むだけでなく、周囲に対してイラついていた。そして何より不甲斐ない自分に対してものすごく苛立っていた。
それでも僕はJリーガーだ。サッカーのことを何も知らない人にとやかく言われる筋合いはない……。
僕はそんな気持ちで〝あの人〟と向き合った。
僕は現状について、今の心境について、淡々と話し始めた。その間、〝あの人〟は柔和な表情で黙って最後まで聞いてくれていた。
僕はひととり話し終わった。
〝あの人〟は少し思案した後、僕の目を真っ直ぐに見つめながらこう言った。
「誰もあなたに結果を求めていないのでは?」
その言葉を耳にした瞬間、頭に血がのぼった。
自分がこれまでにした努力や我慢、受け続けたプレッシャーや批判のことなど何も知らないくせに!
そもそもサッカーのことなんて少しもわかっていないのに、悩んでいる相手に対して、なぜそんな酷いことが言えるのか。
僕の表情が硬くなったことを気にすることなく、〝あの人〟はこう続けたのだった。
「あなたは『自分の強み』がわかっていないように見えます。『自分の強み』に気づいた時、あなたの今の悩みのほとんどは消えて無くなるはずです」
短い面談の後、〝あの人〟は別れ際に僕に宿題を出すと言った。
「次回までに『自分の強み』は何かを考えてきてください。表面的な綺麗ごとの答えではなく、深い思考に基づいた確固たる答えをお待ちしていますね」
〝あの人〟と別れた後、僕は気持ちを落ち着かせるために、近くのカフェに入って頭を整理しようとした。
僕は本当に悩んでいた。
だから、もっと具体的でわかりやすいアドバイスをもらえるとばかり思っていた。
けれど、想像以上に短い面談のほとんどは、僕が自分の考えを話す時間に費やされ、〝あの人〟が発した言葉は最初の挨拶を除けばほんのわずかだった。
「『自分の強み』とは?」
僕は〝あの人〟からの宿題を考えてみようとした。
けれど、すぐには何も思い浮かばなかった。
「それが何か教えてもらいたくて会ったのに……」
僕はすぐに考えることをやめようとした。けれど、〝あの人〟の言葉……「上っ面の答えでなく、深い思考に基づいた確固たる答え」というワードを思い出し、もう一度冷静になって考えようと試みた。
「『自分の強み』とは?」
僕はサッカーが好きだ。その気持ちは誰にも負けないつもりだ。そして、サッカーに賭ける情熱も誰にも負けないという自信はあった。けれど、それは深い思考に基づいた解答ではないことはわかっていた。
「そういう感情的な答えじゃ、深く考えたことにはならないな……」
僕はカフェラテを一口飲むと、子どもの頃の気持ちを思い出そうとソファに深く腰掛け直し、瞑想を始めた……。
子どもの頃は、練習すれば絶対に自分はもっとうまくなると思っていた。練習を続ければ、きっと将来プロサッカー選手になれると信じていた。
毎日の練習が楽しかったし、日々自分が上達することが楽しかった。
昨日できなかった技が次の日できるようになる。その積み重ねが充実感と自信を深めていった。
けれど、僕は結局サッカーエリートのメインストリームにはのれなかった。
中学校、高校とサッカー部に入って猛練習を続けていたが、全国大会なんて夢のまた夢、地区大会を勝ち抜き、県大会に出場することさえままならなかった。
高校最後の公式戦をあっさり負けると、チームメイトはすぐに退部し、受験勉強を優先してグラウンドに顔を出すこともしなくなっていた。
そんな中で、僕だけは次のステップを見据えて、新チームとして始動し始めた後輩たちに混ざって練習に参加させてもらっていた。
じつは、その頃にはなんとなくわかっていた。「自分はプロサッカー選手になれるほどうまくはない……」と。
けれど、それを認めるのが怖くて、ガムシャラに練習に取り組み続けた。きっと新チームを熟成させたい後輩たちには非常に迷惑な存在だったと思う。
でも、その時の僕は自分の今の実力レベルがJリーガーには足らないということに気づきつつも、練習をやめることができなかった。いや、やめるのが怖かったのだ。
これまですべてをかけて取り組んできたことが無駄になると思うと怖かった。だから夢中になってボールを蹴り続けた……。
その後、ブラジルに渡ってプロクラブに練習生として所属し、もう少しでプロ契約というところでケガをして無念の帰国。日本でもプロ契約をしてくれるチームはなく、僕は選手生活を続けることができなくなった。
そして、ブラジルで身に付けたポルトガル語を生かして大宮アルディージャの通訳となった。
僕はプロサッカー選手としてではなかったが、ブラジルでの経験が生きて、晴れてJリーグの一員となれたのだった。
それからは、いくつかのサッカースクール のコーチやプロアスリートのマネジメント、サッカーイベントのディレクターなどを経て、40歳でJリーガーとなった。
20年のブランクを経て、僕は子どもの頃だった夢に辿り着いたのだ。
それは、決して技術的に優れていたからでもなく、サッカーの知識が圧倒的だった訳でもなかった。
『僕はなぜJリーガーになれたのか?』
そして、それまでもずっとサッカーに関わる仕事をし続けることができたのはなぜだろうか?
この問いに対する答えが「自分の強み」につながるのでは?
僕はそう感じ、僕のこれまでのキャリアアップについて改めて見つめ直してみようと考えた。
僕がブラジルで大ケガをして失意の帰国後、いくつか挑戦したJリーグクラブのトライアウトにすべて失敗した時、何もかも失ったと落ち込んでいた僕を救ってくれたのは、周囲の温かいサポートだった。
大宮アルディージャの通訳として雇われたのも、それまでの人間関係から生まれた縁が引き寄せた幸運だった。
また、その後、ジーコの実兄のエドゥに信頼され、彼が開校したサッカースクールのコーチとして働き、そこで多くのことを学んだことが、以降の僕のキャリアの重要な再出発点となった。
それらのすべての転換点で、僕を導いてくれたのは僕のサッカー技術の高さやサッカーに対する知識の深さでなく、いつも周囲のサポートだった。
ふと我にかえると、カフェの窓の外はもう夕暮れに変わっていた。
僕はどれくらい過去を回想していたのだろう。
不思議と、僕は心も頭もスッキリしていた。
それは、過去を振り返ることで「自分の強み」が何かがなんとなく見えてきたからだった。
僕は急いでスマホを手にし、〝あの人〟に次回の面談のアポを取るために電話をかけた……。
教訓4
必要な時に、じゅうぶんに熟考を重ねることで「答え」の尻尾に初めて触れることができる。
(つづく)