安彦考真「好きなことをしてお金を稼ぐ7つのルール」第6回
安彦考真
「好きなことをしてお金を稼ぐ<7つのルール>」
「お金」の概念の話
第6回
ここで、改めて「お金を稼ぐ」ということについて考えてみたい。
「お金を稼ぐ」ということについての一般常識ーーそれは(会社など)どこかの組織に所属し、その組織で働いた見返りにお金をもらうというもの。
一流企業に勤める年収数千万円のエリートビジネスマンも時給や日給で稼ぐアルバイトも、もらえる額に天と地の差はあってもその基本構造は同じだ。
古今東西さまざまな経済学者がいろんな理論を展開しているが、基本構造としては「お金を稼ぐ」=「何かを売る」ということに大きな差異はない。
つまり売ったものの対価としてお金をもらうということが「お金を稼ぐ」の基本ということだ。
そしてその理論に基づくと、年収数千万円のエリートサラリーマンも時給のアルバイトも「売っているもの」は同じと考えられる。
それは「自分の時間」だ。
学歴だったり持っている知識や技術だったりでもらえる額が変わってくるが、それはあくまで支払われるお金の額の差を生むだけで、基本構造はどちらも「自分の人生の一部」を「切り売りしている」ということ。
構造をシンプルにとらえると、勝ち組と呼ばれるサラリーマンもパートのおばちゃんもどちらも同じ枠組みの中にいる者同士なのだ。
「俺は違う」と思った人もいるだろう。
けれど、たった一回しかない自分だけの人生の貴重な時間を切り売りし、対価としてお金を得ているという意味においては、残念ながらサラリーマンもアルバイトやパートとして働く人たちもみんな同じだ。
その証拠に、ほとんどの働く人にとって「自分が生み出したモノやサービスが自分のものにならない」という隠すことのできない証拠がある。
趣味で描いた絵画は自分のものだ。日記帳に書き綴った文章は自分のものだ。
自分の時間や労力を注ぎ込んで生み出したモノは自分のものーー「そんなこと当たり前だろう」という人もいるだろう。
しかし、現代のサラリーマンは自分の大切な時間を使ってモノやサービスを作り出しているにもかかわらず、それは自分のものにならない。それらはすべて所属する会社や組織のものになるのだ。
育てた野菜を自分が食べる。釣った魚を家族で食べるーー経済活動が中心となる以前の時代は、労働の対価として得たものは自分のものだった。
たくさん魚を釣れる人は、釣った魚を物物交換することで別のモノを手にすることができた。ある意味出来高制の社会だった。
そして現代。資本主義経済に生きるサラリーマンのほとんどは、創出したものを所属先に奪取され、代わりに給料という名目の決まった額のお金を手にしている。
そのお金の額はどうやって決まるのか。
労働者にモノやサービスを作らせている会社や組織は、労働者の頑張りに比例した出来高で対価を払うのではなく、あくまで勤務時間の対価として給料を払っている。頑張ったとしてももらえる額が倍増することは(特殊な契約をしていない限り)ない。
もちろん1人ではできないことを集団になることで効率的に作り出し、それを組織としてで売ることで安定した収益を得るという利点はある。また諸事情であまり会社に貢献できない月でも給料を下げられることもないという安心感もあるかもしれない。
そういった互助的メリットはあるものの、それでも与えられた任務に対して自分の時間や労力を貢ぐことで、所属先に奉仕している事実は無視できない。
なぜなら一方で、会社の持ち主である資本家たちはほとんど働くことなく、労働者が汗水垂らして稼いだ売上からお金を手にしているからだ。
つまり、資本家は自分の人生を切り売りしていない。労働者たちが人生を切り売りして稼いだお金から好き勝手にお金を懐に入れているだけなのだからだ。
「そんなことはわかっている。でも、自分ではどうしようもない……」
「資本家になれるならなっている。けれど、なれないから我慢しているだけ……」
そんな声が上がるかもしれない。
けれど、それこそ資本家たちの思う壺だ。僕たちは子どもの頃から受けている教育で、知らず知らずのうちに「模範的な労働者精神」を培われた(資本家から見れば)都合の良いお人好したちなのだ。
古代、エジプトでピラミッドを建造する際、大勢の奴隷が働かされた。彼ら彼女たちは王が望む建造物を作るため、朝から晩まで一年中働かされた。そして出来上がったピラミッドを王に献上した。
大勢の奴隷たちの血や汗の結晶で出来上がったピラミッドは、歴史の教科書では「○○王が造った」と書かれている。そこに奴隷たちや彼らが注いだ人生は一切存在していない。
僕たちは「昔の奴隷よりは自分はマシだ」と言うかもしれない。でも、僕の目にはどちらも大差はない。残念ながら現代にも奴隷制度は見え方を変えながら存続しているのだ。
カール・マルクスは、自書『経済学・哲学草稿』の中で「人間が『労働力』という商品となって資本のもとに従属させられ、工場の機械に従属させられることで、『生産物』からも『労働』からも『疎外』されている」と説いた(主旨抜粋)。
資本主義社会に生きる僕たち労働者は、本来自分たちのものであるべきさまざまなものから「疎外」されている存在なのだ。
資本家たちとは同じ人間でも、同じ国に住んでいても、同じ空の下、天国と地獄に暮らしているーー僕はそのことに気づいた。
そして悪魔の思考から脱獄を果たし、「資本家精神」を身につけることで自分の人生を、自分の時間を取り戻すことに成功したのだ。
……とここまで偉そうなことを書いてはいるが、かつての僕は経済について無知だった。
社会の構造や資本主義というものについて、自分が生きているこの環境についてあまりに無頓着だった。
そんな眠っていた僕の目を覚ましてくれたのが〝あの人〟だった。
〝あの人〟は従順な労働者として教育されてきた僕に、人間本来の正しい思考を思い出させてくれた。
そして〝あの人は〟僕に「『お金を稼ぐ』=『自分の時間』を売る」という悪魔の方式から逃れる術を教えてくれ、同時に「資本家精神」を植え付けてくれた。
僕はそれ以来、時給・日給・月給といった「自分の人生の切り売り」的仕事は拒否するようになった。そして、マルクスの言う「疎外」から解放され、自分を、自分の人生を取り戻すことができたのだ。
僕が子どもの頃から憧れていた「Jリーガー」という職業。僕に限らず、サッカーを始めたほとんどの少年たちは誰もが「大人になったらJリーガーになりたい」と思った経験を持つはずだ。
そんな少年たちのヒーローであるJリーガーの多くも、じつは「人生の切り売り」をして生活しているというのが悲しいけれど実情なのだ。
クラブから契約時に提示された年俸を了承すると、契約期間の月数で割った額が選手の口座に毎月振り込まれる。
ただし人気選手や主力選手になれば、その基本給に出来高(出場給、勝利給、ゴール数に応じたインセンティヴなど)が加わるため、月に貰える額は多少増減する。
けれどシンプルに言えば(出来高による増減の有無にかかわらず)毎月クラブが決めた額が選手に支払われる。
夢を壊すようで恐縮だが、そういう点で言えばJリーガーも立派なサラリーマンの一員なのだ。
個人スポンサー契約や副業収入などのクラブ以外からの副収入を持つ一流選手など、人数的にも例外的存在と言ってもいい存在を除けば、多くのJリーガーもじつはサラリーマンと同じ境遇だ。
だから、みんなの憧れとは裏腹に、サラリーマンの皆さんと同じようなマインドになってしまっている選手が非常に多い。しかも1年でクビになる可能性もあるぶんサラリーマンより立場が不安定だ。
その結果、サラリーマンの人たち以上に雇い主である所属クラブの顔色を過剰に伺う選手が多い。
通常の会社なら簡単にクビにはできないが、Jリーグでは選手はいとも簡単に契約解除される。そのくせ同年代の平均収入がもらえるかどうかという程度の年俸の選手も多い。
本当に残念なことだけれど、ほとんどのJリーガーは自分自身を「子どもの頃からの夢の中にいる」気分に浸らせることで自分を誤魔化している。社会からもお金からも疎外されまくった存在なのだ。
だから、僕は「Jリーガーをめざす」と決めた時、クラブからお金をもらわないと決めた。
それは「新しいJリーガーの生き方」を示したいと考えたからだ。
カッコよく言えば「疎外されない生き方」をアスリートたちに知ってもらいたいと思ったからだ。
もちろんクラブからお金をもらわないという条件は、僕とプロ契約する際の、クラブにとって「お金がかからないならお試しに……」という最後の一押しになるという目算もあった。
けれど、それはあくまで副次的なものであり、僕の目標は「アスリートたち、そして多くの若者たちに『お金を稼ぐ』真実」に気づいてもらいたいという思いの方が強かった。
自分で言うのもなんだが、僕レベルの選手なら出来高はそれほど期待できない。
そして所属選手たちに出来高を大盤振る舞いするほど資金潤沢なクラブは、J1で優勝争いをするレベルのトップクラブに限定される。そんなクラブが僕と契約してくれると思うほど自惚れてもいない。
そんなさまざまな理由を含めて、僕は「ゼロ円で契約するJリーガー」の実現にこだわった。そして念願だったプロ契約をついに僕は勝ち取ることができたのだった。
ただし、実際に契約を勝ち取った直後は凄まじい批判にさらされた(苦笑)。
現代社会で一般常識(と思われていること)から外れた行動をとった人に対して、多くの人があからさまな拒絶反応を示すということを身を持って知った。
でも、僕は心の中で思っていた。
「あなたのその一般常識と思っている考えは、本当に真実なんですか?」と。
それは資本家にとって都合の良い奴隷となるべく育てられた、偏った教育による洗脳なんじゃないか、と。
今でも僕を攻撃してくる人はいる。そんな時は僕は心の中で「それだけ教育というものは人の思考にとって大きな影響を与えるということなんだなぁ」と冷静にとらえるようにしている。
今、僕は一般的Jリーガーのような「人生の切り売り」思考をやめ、時間を取られないでお金が手に入る別の稼ぎどころを確保し、Jリーガーとして練習や試合に楽しく専念できている。
個別スポンサー契約や副業で稼いでいるトップクラスのJリーガーたちと同じように、僕もクラブから払われる年俸以外の出来高で稼いでいるプロアスリートだ。
そして、これだけ長々と偉そうにお金を話を書いているが、じつはお恥ずかしいことに普段いつ、いくら振り込まれているかといった収入の細かいことを全然把握していない(笑)。
なぜなら、把握していなくても、使う以上に入ってくる額が大きいことがわかっているからだ。
銀行の通帳はもう数年見ていない。おそらく最後に見た時より増えていることは間違いない。違いがあるとすれば、かなり増えているか、驚くほど増えているかの違いだ。
僕は資本主義の基本構造を理解し、「お金を稼ぐ」ということの根本を学んだ。
そして、お金に執着しなくなった。
その結果、お金に縛られることがなくなった。お金に関することで困ることもなくなった。そして、大切な人生を切り売りすることもなくなった。
僕は自分らしい人生を「好きなことを仕事にする」ことで謳歌していると胸を張って言える。
僕は決してスペシャルな人間ではない。普通のサッカー好きのおじさんだ。
そんな僕でも、お金から自由になり、仕事から自由になり、好きなことを仕事にして、人生を心から楽しみながら生きるという最高の生き方ができている。
だから今、仕事のこと、人生のことについて悩んでいる若者たちに伝えたい。
「自分の人生を切り売りするな!」と。
「それができれば苦労はない」という反論が聞こえてきそうだ。「自分だってそうしたい、けれどできない……」そんな心の叫びが聞こえてくるようだ。
僕はそんな君たちの気持ちがとてもよくわかる。なぜなら僕も少し前まで同じだったから。
そして、そんな君たちも「変われる」ということも同時に知っている。なぜなら特別な人間では決してない僕でも変われたのだから。
僕の人生が一変したきっかけ。
それは〝あの人〟からさまざまなことを学んでからだ。
改めて、僕の大きなターニングポイントについて、少しずつ書いていきたいと思う。
(つづく)
教訓5
「世の中そういうものだ、自分には無理だ」そんな奴隷思考は幻想。今すぐ搾取される立場からの脱出をはかれ!