「自分の山を自分の足で登る」ということ
なぜ人は山に登るのか? 「そこに山があるから」--人生を山に譬えれば、生まれてから人はずっと山を登り続けてきたと言える。しかしに30代、40代に入って、人生の折り返し地点と感じる年齢になると、自分で「人生という山」の頂上を「今いるこのあたり」と定め、あとはゆっくり降りていくだけだという意識にかられることが増える。
本当に今いる場所が、あなたの人生という山の頂点なのか? 人生のリアルは、山は山でも稜線でつながった山脈のようなもの。今いる場所が今の頂点であったとしても、あなたのリアルな人生のその向こうには、心の奥底に眠っているだけの山がいくつも存在しているはずだ。
少しの勇気で、まずは一歩を踏み出そう。自分の山は自分の足でしか登ることはできないのだから。
【安彦考真選手への質問】
登山家の栗城史多さんが自分の活動を通じてもっとも伝えたかったメッセージとは?
世界最高峰エベレストに単独・無酸素で挑戦していた登山家の栗城史多さんが、5月21日、登山活動中に亡くなったというニュースが報じられました。
「40歳でJリーガーになる」という周囲から無謀と言われる夢に挑戦し、実現した安彦考真選手と栗城さんとは同志として、ともに刺激し合う仲だったと聞いています。...
栗城さんの訃報についてさまざまな報道が出ている中、安彦選手が感じていた「栗城さんにとっての登山について」また「その活動に込められたメッセージについて」を教えてもらうことで、栗城さんの活動の真髄をより多くの人に正しく理解してもらえればと考えます。
<安彦考真選手の回答>
「自分の山を登るということ」
心友、栗城史多 35歳
...
彼が登山を通してもっとも伝えたかったメッセージは、「自分の山を登ろう」ということです。
彼とは出会って5年になります。
お互いフィーリングで感じ取ったのか、何か使命感的なもので繋がった気がしました。
それはのちに「天命」だということを知ることになります。
「否定の壁」
これが栗城史多とってのエベレストです。
彼は、数多くの講演会を全国で行なっています。
その講演会は、企業や学校が多いです。
その中でも学校でやる講演会に栗城史多の「想い」が滲み出ているこだわりがあります。
それは、必ず保護者を呼び、講演会に参加させることです。
彼の考える「否定の壁」は、大人の常識でもあります。
足が遅ければ陸上選手にはなれない、頭が悪ければ東大には受からない。
確かにそうかも知れません。それが大会当日や受験日当日にそうならば…です。
努力する過程をすっ飛ばし、今ある能力で人の可能性を決めつけるのは、「否定という壁」をそこに作っているのと同じだと言うことです。
彼がエベレストに挑むと決めた時、多くの人が否定から入ったそうです。
しかし、唯一彼に「信じてる」と声をかけたのが父親だったそうです。
そばにいる人がその人を「信じる」だけで、大きな一歩を踏み出せることを実感したのだと思います。
彼は、それを多くの人に伝えたいのです。
「本当の挑戦とは失敗と挫折の連続である」
これは彼が残した言葉です。
失敗と挫折は挑戦するのに必要不可欠な“出来事”なんです。
「自分の山を登ろう」
この言葉の真意は、失敗と挫折という山を乗り越えようということです。
自分で自分の限界を決めず、苦難困難を有難うに変えてしまう。
そんなチャレンジを続ける姿を“エベレスト”通して感じて欲しいのです。
僕は彼は登山家ではなく、人生の冒険家だと思っています。
冒険家にルールやセオリーが存在したらそれは冒険ではなくなる。
エベレストという誰にでもわかりやすい山を、誰もが経験したことのある失敗や挫折に喩えているのです。
彼が目指していた先にあるのは、エベレストの登頂ではなく、「否定という壁」への挑戦だったのです。