ファンを増やすために、どれだけ初心者向けの入り口を作っておけるか
人生を哲学的に見つめ、日々考えたことや感じたこと、学び、体験についての思いをまとめ、書き留める「人生哲学研究家」のブログ。
編集長ブログ
2019年3月27日
満員の観客席から10年後を想像してみる
サッカー日本代表がキリンチャレンジカップを戦った。
準優勝したアジアカップ後、悔しい敗戦を経験したメンバーに新たな選出選手を加えての親善試合。初戦はワールドカップ・ロシア大会でも対戦したコロンビア代表に0-1で敗戦。そして昨日の第2戦はボリビア代表との試合を1-0で勝利したサッカー日本代表。
初戦は日産スタジアム、次戦はヴィッセル神戸の本拠地であるノエビアスタジアムで開催されたが、両会場とも超満員の観客が集結し、日本代表を応援した。
サッカーの試合会場は、Jリーグの試合時と日本代表の試合の時とでは雰囲気が異なる印象が強い。
日本代表の親善試合の場合、自国を応援するという共通の目的があることに加えて、普段はそれほどサッカー観戦しない人の割合が増すこともあり、ちょっとしたイベント感、お祭りっぽい雰囲気になることが多い。
人気の選手の登場や派手なプレーに客席はドッとわく。もちろん勝って欲しい気持ちはあるけれど、「この場にいることを楽しみたい」という思いがより強い人が親善試合の会場の独特の雰囲気を生み出しているように感じる。
一方のJリーグの試合では、応援するチームの勝利を期待することはもちろん、細かいけれどチームに貢献する選手の姿勢や気持ちのこもったプレーに客席は反応する。
Jリーグの試合会場に訪れると気づくが、客席に同じユニフォームを着た子どもたちの団体がよく目につく。彼ら彼女たちは、目の前の選手たちに将来の自分の未来予想図を重ねながら試合を見ているのだろう。
だからこそ、単に派手なプレーだけでなく、地味だけれどチームのための献身的なプレーや、ゴールに至るまでの重要なカギとなる囮となる動きをした選手にも目がいく。
そういう目線で見れば、サッカー観戦はより楽しさを増す。そしてどんどんサッカーの魅力にはまり、大人になっても草サッカーやサッカー観戦を趣味とする。
実体験があるだけで〝見えないもの〟が見える
前回、大人の趣味について考えてみた。
そこで、子どもの頃に習い事や部活で触れていたものは、ベースとなる知識や実体験があるため親近感があり、趣味になりやすいのではないかと推測した。
学生時代にブラスバンド部など楽器を演奏する部活動をしていた人なら、音楽の素養もあり、実際に演奏経験もあるので、トップアーティストたちの演奏の楽しみ方はより深いものになる。
どれだけクラシック音楽を好きで、どんなにたくさんCDを聴いたり、コンサートに足繁く通っても、部活で数年間真剣に演奏に向き合った経験を持つ人と比べると、音楽を楽しめる幅も深さも差が出てしまう。
これは音楽に限らず、プロスポーツの試合観戦でも同じことが言えるだろう。
サッカー日本代表の試合をスタジアムで観戦しても、プロ野球の試合を球場で観戦しても、たとえそれほどの成績を残していなくても数年間、部活で真剣にその競技に取り組んだ経験がある人とない人では「見えるもの」が違ってくる。
ルールを知っているかどうかというレベルでなく、ボールのない場所での選手の動きや結果ミスになったプレーの選手の意図など、プレー経験の有無で目には見えない部分が見えるかどうかは大きく変わってくる。そしてそのぶん観戦の楽しみの幅や深さも変わってくる。
「大人の趣味」を左右する部活経験の存在
スポーツ、特にサッカーや野球といった人気競技は、メディアなどで紹介される機会が圧倒的に多いため、未経験者にもわかりやすく解説したり、興味を持ってもらうための施策が手厚く行われている。そのぶん未経験者でもその競技を観戦することが楽しくなり、趣味となる可能性も高くなる。
また、部活ほどでなくても、サッカーやバスケットボール、バレーボールなどは体育の授業の中で行われることが多い種目なので、熟練度はさておきプレー経験という意味では多くの人が経験する機会が多いため、親近感を覚えやすい。
しかし、マイナースポーツはそもそも経験する機会が少ないだけでなく、未経験者にその魅力を伝える発信力も限られているため、なかなかファンを増やすことが難しい。
一方で、クラシック音楽は、小学校から中学、学校によっては高校まで、必ず受けなければならない音楽という授業の中で、ほとんどの人が触れる機会を持っている。
実際、毎日のように大小さまざまな会場でコンサートが開かれ、多くの客席が埋まっている。しかし、これまで一度も自主的にクラシックコンサートに行ったことがない人のほとんどは、今後も興味を持つことがないだろう。
誰もが子どもの頃に触れたことのあるからといって、その時に興味を持てなければ、大人になってもその気持ちはなかなか変わらないだろう。
同じ満員の会場でも10年後は差が出る可能性も
例えば、プロ野球のスタジアムに行くと、観戦初心者でも楽しめる工夫を凝らしたところが多い。
グッズ売り場には思わず手にとってしまいたくなる商品が所狭しと並べられ、食事の売店では人気選手プロデュースの弁当が売っている。また、グローブを持参した子どもたちが飛んできたボールをキャッチすれば、記念にボールをもらえるスタジアムもある。
スポーツの中でも、特に初心者向けのプロモーションにもっとも力を入れていると感じるのは競馬場だ。至るところで初心者限定のイベントが開催され、専用のスタッフの姿を競馬場内のそこここで目にする。
単に馬券を買うだけでなく、競馬そのものにより親しみを持ってもらうことで、長くファンになってもらう施策がそこかしこで行われている。
一方、ミュージカルやコンサートの会場に来ても初心者を意識したアナウンスや情報提供は皆無だ。
ほとんどの観客は熱心な愛好者で、そんな人たちに向けてわざわざ初心者向けの施策をとる必要はない。また、今でも愛好者たちだけで会場はじゅうぶん埋まっていて、初心者が人気の演目のチケットを手にすることすら難しい。
しかし、そういった主催側や会場運営側の考えは、ますますファンと一般との断層を深めてしまうだろう。
愛好者にとって心地良い「敷居の高さ」は諸刃の剣
クラシック音楽やミュージカルの主催側も会場運営側も、音楽に造詣が深い人ばかりで、もしかして初心者目線を忘れているのかもしれない。
その日の演目についての初心者を意識したインフォメーションはなく、知りたければそれなりの値段のする公演プログラムを購入して読むしかない。しかし、公演プログラムの多くは観劇し慣れた人向けの記事も多く、わかるようでわからないことも少なくない。
たまたま会場に訪れた初心者にとって、クラシックコンサート会場やミュージカル劇場は排他的に感じてしまうだろう。
今、クラシック音楽のコンサートは、音楽好きの親に連れられた子どもか、将来音楽に関する仕事をしたいと思う学生といったごく限られた入り口からしか足を踏み入れるルートはない。
この狭き道を広げる努力を怠れば、近い将来、大きな問題を抱える危険性があるように思えてならない。せっかくの人生を豊かにしてくれる芸術、エンタテインメントだからこそ、もっと多くの人にその魅力を知ってほしい。
そんなことを考えながら、会場を後にした。