安彦考真のリアルアンサー「新天地に挑む戦友への熱いメッセージ」2019年7月5日
7月2日、FC東京の太田宏介選手が名古屋グランパスへの移籍を発表した。
日本代表としても活躍し、オランダリーグでもプレー経験があるJリーグを代表する選手の1人であり〝FC東京の顔〟とも言える太田選手のシーズン中のリーグ内移籍に多くの驚きの声が上がった。
そんな太田宏介選手を高校時代から目をかけ、オランダ移籍時には厚いサポートをし続けたのが安彦考真選手だった。
同じJリーガーとなってからは、以前よりは会う頻度は減ったものの、それでも旧知の中であり同じプロサッカー選手同士、互いの活動に刺激を与え合ってきた。
今回、名古屋グランパスへの移籍を決めた太田選手に、安彦選手からの熱いエールを送ってもらった。
新天地でJリーグベストイレブンにも選ばれたその実力を発揮し、さらなる飛躍を遂げるであろう太田選手にとって、心強いメッセージとなるはずだ。
リアルアンサー
2019年7月5日
Y.S.C.C.横浜
安彦考真
「宏介に贈るエール」
ここ最近はなかなか会うことができていないが、僕にとってはずっと特別な存在に変わりはない。
宏介とは高校生の頃からの付き合いで、それ以来同じサッカー仲間として良い関係を続けてきた。そんな彼とはたくさんの思い出があるが、やっぱり出会ったばかりの高校生の宏介のことはとても印象深い。
当時、宏介が通っていた渕野辺高校(現・麻布大学附属高校)サッカー部で僕の弟がコーチをしていた縁で、僕の恩師であるエドゥを連れていったことがあった。
ジーコの実兄であり、自身も現役時代も世界の超一流選手として活躍したエドゥ。ジーコジャパンの時には代表のテクニカルアドバイザーを務めるほどの卓越した〝見る目〟を持つエドゥに、サッカー部員に向けて講演をしてもらった後、サッカー部の練習を見てもらった。
その当時、渕野辺高校には太田宏介と小林悠、小野寺達也がいた。3人ともその後Jリーガーとなり、宏介と悠は日本代表にまで上り詰めた。とはいえ、その頃はまだ3人とも特別注目されるまでの存在ではなく、この時もあくまで大勢いるサッカー部員の一員だった。
しかし、そんな大勢の部員の中から、エドゥはすぐに宏介と達也の可能性を見出した。
宏介はその頃からすでにチームの主力としてプレーしていたが、当時Bチームの一員だった達也はエドゥとの出会いをきっかけにAチームに抜擢されることになった。そして、その入れ替わりでポジションを失ったのは悠だった。
(だから悠はそのことを根に持っていて、今でも僕たちの中でその昔話が出ると「僕はエドゥが嫌いです」と冗談で言っている・笑)
悠はそんな悔しい経験をバネに大学進学後にプロとなり、JリーグMVPに選ばれるほどの日本を代表する選手にまで駆け上がった。一方の宏介は、エドゥの慧眼通り高校卒業後にすぐにプロの道に進み、日本代表まで登りつめた。
そんな宏介が30歳を超えた今年、名古屋という新天地で新たな挑戦をすることを選んだ。
プロとなった宏介との一番の思い出は、はなんと行ってもオランダで2人で過ごした時間だ。
オランダリーグに移籍した宏介をサポートするために、僕は1年に3回もオランダに行った。
最初の訪問は、宏介がオランダに渡った直後、馴れない海外での生活を少しでもサポートするために一緒にオランダに向かった。
宏介の所属していた当時のフィテッセはステップアップをめざす選手が集まるチームで、世界中から将来を期待された若手選手たちがプレーするチームだった。
その中で、宏介は最年長であり、もっとも高い年俸をもらう即戦力選手としてチームに加わった。移籍はオランダリーグのシーズン途中であり、チームはすでに出来上がっていた。その中で、オランダ語も英語も話せない宏介は、すぐに結果を求められるという厳しい状況だった。
そんな過酷な条件の中で、宏介は最高のデビュー戦を飾った。この日の試合のことは今でも鮮明に覚えている。その日の夜遅くまで、ホテルの部屋で男2人で熱く語り明かしたことも思い出深い。(しかし、どんなことを話したか内容は全然覚えてない・笑)
その後、ヨーロッパを代表する名門クラブのアヤックスとの試合。伝統あるスタジアムで大観衆の中、躍動する宏介の姿に勇気をもらった。
(ただし、2度訪れたCKのチャンスで、2度ともスベってクソボールを蹴っていた姿も一生忘れない・笑)
帰国の際、宏介がくれたデビュー戦のユニホームは今でも家に飾ってある。
2度目の訪問ではこれも強豪クラブであるPSVとの試合を観戦。
この時の長期滞在中、ほぼ毎食を一緒に食べながら、男同士で毎日何時間も語り続けていたことを思い出す。(この時もどんな話をしたかはほとんど覚えていない・笑)
3度目の訪問時は、宏介を獲得した監督が交代となった影響もあって、メンバー外になることも多く苦しんでいる彼をサポートするためだった。
この時、自宅に泊めてくれた宏介が鍋を作ってくれて一緒に食べたことは本当に良い思い出だ。(もちろんこの時もどんな話をしたかは全然覚えていない・笑)
今、自分が同じJリーガーとなってみて、改めてあの時の宏介はとても苦しい日々を過ごしていたということが本当によくわかった。
その後、宏介はFC東京に戻ったが、僕がJリーガーを目指したこともあって、会わなくなる日が増えていった。それでも彼のプレーや試合結果などは常にチェックしていた。
今回、彼は名古屋へ移籍を決めたが、自分が彼らと同じJリーガーになってみて、改めて宏介や悠の凄さを実感している。
宏介の特徴と言えば左足のキックだが、彼はそれだけではない能力をちゃんと備えている。
守備の対応力であったりヘディングの強さ(ジャンプ力)だったり、それがあった上での攻撃力でもある。第一線でその持っている能力を出し続けることは容易ではない。
そんな宏介に、ひとりの旧友として、また同じフィールドで勝負する戦友として、心からのリスペクトを込めて伝えたいこと。
「ここまで来たんだ、安パイ切るなよ!」
家族もできて、守るものもあり、次のキャリアも考える年齢だろうけど、宏介が安パイ切って安全運転でJリーグでプレーしている姿はみたくない。
世の中には多くのJリーガーがいる。
サッカー選手としての"機能"だけで生きるのではなく、太田宏介がもたらしてきた影響力を全面に出して戦ってもらいたい。
FKの上手いだけのパパより、背中のでっかいパパになってもらいたい。
今を色濃く、共に戦い続けよう!