現役Jリーガーとして「教育」に取り組む安彦考真選手のコミュニケーション論
南アフリカの3度目の優勝で幕を閉じた2019ラグビーワールドカップ日本大会。
自国開催として日本代表チームの躍進と歩調を合わせるように、日本中が盛り上がった素晴らしい44日間となりました。
ラグビーは試合中は接触プレーが続く、ボール競技の中でも特に選手がエキサイトする要素が高いスポーツ。にもかかわらず、大きな乱闘などが起こることなく試合終了直後には勝者も敗者もお互いを称え合う、高いスポーツマンシップを体現している競技です。
これはさまざまな要因があると考えられますが、サッカーをはじめ他の競技も参考にすべき点が多く含まれると考えられます。
現役Jリーガーであり、ライフワークとして教育問題にも取り組んでいる安彦考真選手に、ラグビーの「ノーサイド精神」をコミュニケーションの観点からリアルアンサーしてもらいました。
リアルアンサー
2019年11月3日
Y.S.C.C.横浜
安彦考真
「サッカーはラグビーから多くのことを学ぶべきだ」
肉体と肉体が激しくぶつかる音が、テレビの画面越しに聞こえてくるほどハードな戦い。ラグビーのワールドカップは見ている者を感動させ、清々しい気持ちにしてくれた。
そんな素晴らしい印象を残したその要因の1つに、ラグビーのワールドカップでは判定に対するレフェリーへのクレームや、ラフプレーに対する相手選手への報復などが非常に少なかったことがあると僕は考える。
ラグビーにはタックルをする際、相手のケガを防ぐため、しっかりと抱きかかえるようにタックルしなければいけないというルールがある。
またサッカーで言えば、アフターチャージと呼ばれるような反則に近いプレーも試合中いくつもあったが、それはラグビーでは正当なタックルという枠の中にあるようだ。
ときに選手同士が激しく揉め合うこともあるが、サッカーのように直ぐに倒れたり、相手の反則行為を大袈裟に誇張してレフェリーにアピールするようなアクションは皆無だった。
個人的には、ラグビーは「選手」という表現よりも「戦士」という表現がマッチしているように思えた。今回のワールドカップでは、まさにお互いが命をかけて戦っている戦士同士の真剣勝負のようだった。
では、何故こんなにも激しい競技にも関わらず、乱闘などが起きにくいのか?
僕は「コミュニケーションの取り方にポイントがあるのではないか」と考える。
選手とレフェリー、選手と味方選手、選手と相手選手、この辺りのコミュニケーションの取り方がラグビーとサッカーとはまったく違う気がする。
まずは「選手とレフェリー」という視点だが、ラグビーではジャッジに対してクレームがほとんどの出ないのは、レフェリーが「ジャッジをする人」ではなく「コミュニケーションを取り説明する人」という役割を担っているという認識がラグビー選手の間に浸透しているのではないかと考えている。
一方、サッカーではどうしても「レフェリー=裁く者」となり、判定の根拠に対してはレフェリーは選手に対して一切コミュニケーションを取る姿勢がない。そのせいで、すべての笛の音にネガティブを感じ、選手はそのジャッジにでなく、ジャッジした人(=レフェリー)に怒りを覚えクレームをつけてしまう。
また「選手同士」という観点でいくと、言葉でのコミュニケーションもそうだが、それ以上に仲間を守るという姿勢で信頼関係が成り立っているように見える。
ボールを持って突進した選手が潰れた瞬間に、その選手を助けるかのように味方選手が相手選手に猛然とタックルし、仲間とボールを守る。単身突進する選手も「後ろから仲間が絶対に助けてくれる」という信頼があるから屈強な相手選手に思い切り突っ込んでいける。
一方でサッカーの場合、うまくいかなかった場合、味方への不満のアピールが出がちだ。その結果、味方間のサポートが遅くなり、後手を踏むシーンがよくあるように思える。
テレビやスタジアムでもよく見る光景だと思うが、チーム状況が悪い時、チームをうまくコントロールできないことに不満を感じた中心選手が味方選手に対してクレームジェスチャー(手を大きく広げたりする動き)と呼ばれるアクションをする。その結果、選手同士の心の距離がより遠くなり、ラグビーでいう「ワンチーム」感が失われていってしまう……そんな様子をサポーターも目の当たりにしたことがあるはずだ。
最後に、「選手と相手選手」に関しては、ノーサイドの精神がそのまま表れている。
試合終了直後に行われる敗者が勝者を称える花道は、お互いが正面から正々堂々とぶつかり合った試合だったからこそ賞賛しあえる素晴らしい文化だと思う。
僕が聞いた話では、ラグビーは試合が終わったあとに相手選手と同じシャワー室を使うらしい。サッカーではありえない光景だ。けれどラグビーではピッチ内外、試合が始まる前後にこの激しい競技を支える「精神」が顕在する。
ラグビーが持つ「ノーサイドの精神」はコミュニケーションが持つ本来の能力を十分に活かしている。
同じアスリートとして、僕らサッカー選手ももっとコミュニケーションの本質を理解し、試合中だけでなく、試合前や試合終了後にもそういった心がけをしていく必要があるのではないかと思う。
ラグビーの試合前のロッカールームでは「相手を殺すつもりで」とか「死ぬ気で」という言葉が使われるのも、人を痛めつけ、傷つける行為ということではなく、自分の命を捧げ、仲間とともにここで終わってもいいという覚悟を持つための言葉に僕には思える。
僕らアスリートは、一般の人たちよりももっと言葉に宿す重みと責任を持つべきだと学んだ。それは、アスリートにしか生み出せない、勇気や感動となるからだ。
ラグビーからコミュニケーションの持つ素晴らしさとアスリートの意義を教えてもらったワールドカップだった。