安彦考真「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」9
誰とでもすぐ親しくなり、たくさんの友だちに囲まれているように見える安彦考真選手。
そんな彼も、じつは過去、何度も「いじめ」について悩んだ経験を持つという。
だからこそ、彼はいつも「いじめ」について過敏になる。そして常に自分のことのように捉え、真剣に解決策を考えている。
絶対に無い方が良いものなのに、絶対に無くならない「いじめ」。
それは子どもたちの問題ではなく、大人も含めた社会全体の問題だ。
その難問の解決に向けて、Jリーガーという職業を生かして、今、安彦選手は立ち上がることを決心したという。
安彦選手が考える「いじめ」の構造。そしてその解決法とは?
安彦考真の「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」9
2020年5月11日
Q. 安彦さんは過去に「いじめ」を受けたことがありますか?
「いじめ」を解決する方法を教えてください。
10代学生
どれだけ社会が発展しても、世の中から「いじめ」はなくなりません。
僕は「いじめ」がない社会になればいいと思っていますが「いじめ」を解決する方法がわかりません。
安彦さんはいじめられた経験がありますか?
「いじめ」についてどう考えているか教えてください。
A. いじめは無くならないかもしれない。
けれど止めることはできると僕は信じている
安彦考真
僕は中学校2年生の時にクラス全員から無視され続けた経験がある。
俗に言う「いじめ」だ。
それは突然始まった。
朝、登校してみんなにいつも通り「おはよう」と声をかけると、その「おはよう」は誰とも交わらず消えていった。
気のせいかと思って自分の席に座ると、後ろの席の友だちに「おはよう」と声をかけた。
彼は何も言わずその場から立ち去った。
いじめを初めて認識した時だった。
ただ、僕の場合は攻撃されたり、悪質ないたずらをされたりということはなく、ただひたすら無視をされ続けるというものだった。
結局、サッカー部の仲間たちや先生が間に入ってくれて、2年生のうちにその「いじめ」はなくなるのだが、今思い出しても寂しい気持ちになる。
ただ、ことの発端は僕にあったのだ。
僕がある生徒にことあるごとにちょっかいを出し過ぎたことで、それを見かねたその生徒の友だちが、みんなに指示を出って僕を「シカトする」という報復攻撃が始まったということだった。
そう思うと、確かにその時の僕は面倒くさいちょっかいを出していたし、うるさい生徒だったから他の生徒からすれば目障りな存在だったのだろう。
この経験は今の僕の大きな影響を与えている。
それからは少なからず場の空気を読んで、今はこれ以上話すのをやめておいた方がいいかなと、思うこともなくはないからだからだ。
人は、自分の体験をもとに、関心ごとが広がっていくという。
確かに僕がいじめ問題の興味を持っているのは、その体験者だからといっていいだろう。
もし、いじめられたことがなければ、その気持ちを理解することできないため、上っ面でいじめ問題を語ることになり、そこには嘘が生じてしまうだろう。
僕は5年前、「biomサッカーコース」の立ち上げに関わった。
それは「好きなことから始めよう」というコンセプトを掲げる中央高等学院という通信制の学校とJリーグクラブである東京ヴェルディが連携して創設したもので、まったく新しい文科省認可の学科だった。
「biom(ビオム)」とは「burn into one's mind(心に焼き付く)ような体験をして欲しい」という学校の理念を象徴する言葉を意味し、その頭文字をとってbiomと名付けられた。
そのサッカーコースは、様々な理由で学校に行けなくなった不登校状態の子どもたちを集め、好きなサッカーをキッカケにしてもう一度社会へ出る準備をするための場だった。
僕はそこで「スポーツダイレクター」という立ち位置で、不登校の子どもたちと関わり、コース全体のオーガナイズと毎日の座学を講師として担当した。
そのクラスの「アイデンティティ」を作ろうという思いで、僕は最初に「biom5ヶ条」なるものを作成した。
その一つに、「いじめは絶対に許さない」という項目を掲げた。
これは生徒たちがいじめが原因で学校に行けなくなった子たちが多いからという理由ではなく、僕の体験からくる感情をそのまま掲げたものだった。
しかし、その結果何が起きたかというと、それでも「いじめ」は起きたのだ。
先程も述べたように、そのクラスには様々な理由で中学校生活をまともに送れなかった生徒がほとんどだ。
中学校3年間ほぼ引きこもりや、ADHDやEDような発達障害の生徒もいた。
その他には、補導歴のあるようなやんちゃな生徒もいたので、僕なりに「リスクは何か」を想定した上で「アイデンティティ」を作成したつもりでいた。
しかし、大事なのは「欲望」「願望」ではなく「事実」だったのだ。
僕は、彼ら彼女たちに、ただ僕の「願望」を押し付けていただけだったのだ。
「いじめがなくなるように……」「いじめがない社会になるように……」
それはただの僕の願望であり、生徒の前に立つべき人の使う言葉ではなかったと、今は思う。
ただ、その時の僕はただただ必死だった。
「僕と同じ思いをさせたくない……」「きっと彼らも中学校時代に嫌な思いをしてきたはずだ……」と勝手に思い込み、感情論が前面に出過ぎた目標を掲げてしまったのだ。
biomで起きたいじめはサッカースクールの現場責任者である僕の手に負えないレベルまでいってしまい、最終的には学校に任せるほか方法がなくなってしまった。
悔しさと虚しさで苛立ちを隠せない数週間を送ったが、いじめられた生徒とのコミュニケーションはずっと続いていた。それだけが救いだった。
人は自分の想いだけでは解決できないことが多々ある。
情熱を持つことも、知識を持つことも共に重要だ。
ただし「本当にこれでいいのか?」と自分の想いやスキルを疑うこともときにはとても重要だと学んだ。
僕はこういった経験を活かし、少しでもいじめ問題の解決に向き合っていきたいと思う。
今、現時点でのの僕の結論は「いじめはなくならない」
残念だけれど、そう思っている。
ならば「いじめは絶対にある」という前提を常に踏まえて、そこからできることを探すのがいいと思っている。
いじめをなくすことを目指すのではなく、いじめを止めることを目指す。
今、僕にできることいじめが怒っている状況と対峙した時、一人ひとりと真摯に向き合い、どうやったらそのいじめを止めることができるかを考えることだ。
岩田健太郎
『ぼくが見つけた いじめを克服する方法~日本の空気、体質を変える』
(2020年4月30日発行:光文社新書)
最近、僕は岩田健太郎さんが書いた「ぼくが見つけた、いじめを克服する方法」という本を読んで、とても共感し、とても考えさせられた。
この本の中で、岩田さんは「人は極限状態になると無感動、無感覚、無関心といった感情の消滅、無気力状態になる」と書いていた。
この現象を岩田さんは「それはある種、生き抜くための生存本能ともいえる」だと分析している。
そして「これを放置すれば、自殺という最終手段をとってしまう子が多い」と岩田さんは指摘している。
この本には「18才〜22才の若年層の30%が本気で自殺を考えたことがある」と書かれている。
そして、この多くが学校のいじめが原因とされているそうだ。
この本に書かれている事実を読むたび、僕は心が痛くなった。
だからこそ、いじめられている子どもたちが「無気力」状態になり、無抵抗となり、最悪の選択をする前に、「SOS」が出せるよう、現役Jリーガーとして僕はできる限り大きな声をあげていきたいと考えた。
実際に、僕に何ができるか。
僕の生き方として、考えるより、まずは行動あるのみ。
まずは僕のTwitterに相談窓口を作って、僕に直接DMを送ってもらえるようにすることにした。
僕は医者でもなければ、学校の先生でもない。
だから専門な的なことは何も言えないが、一人の大人としてあなたの抱える悩みを聞くことはできる。
その上で、どうしていくかという具体的なアクションを話していけるようにしたいと思う。
人生は何歳からでもなんとでもなる!
40歳でJリーガーになった大人が言うのだから、間違いない!
できる限りの力を振り絞り、全力で君を守りたい。君を今の状況から救いたい。
だから、いじめで困っている子どもたち、そしていじめの現場に遭遇して、どうしていいかわからない子どもたち、ぜひ僕にDMを送って欲しい!
安彦考真選手のTwitter
https://twitter.com/abiko_juku