天賦の才能に恵まれた者故の苦悩と因縁ーー「モーツァルト !」

2018.7.11

livest!編集部

アラフォーからの舞台&ミュージカル鑑賞

ミュージカル「モーツァルト!」

2018年6月25日

昔から好きだった。ちょくちょくは気になる作品は観に行っていた。けれど、映画と違い、舞台やミュージカル、特に人気の演目は前もってチケットを予約確保しておかなければ、上演が始まってからでは「観たい」と思いついても観れないことが多い「事前の入念な計画が必要となる」趣味だ。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」に感動し、ロンドンではクイーンズシアター劇場で本場の「Les Misérables」を鑑賞したし、ニューヨーク・ブロードウェイでは「キャッツ」や「ライオンキング」も鑑賞した。けれど、そういった海外出張のついでに観る舞台と違い、日本でのミュージカル&舞台鑑賞は初心者には敷居が高いと感じさせる何かがあった。

アラフォーとなり、時間とお金をかけて何かに没頭したいと考えた時、改めて「しばらくは舞台やミュージカルを観まくるぞ!」と決意。時に開演の半年以上前、チケット発売初日にほとんどの作品のチケットを予約しまくった。そして2016年から最低週1回ペースで舞台やミュージカルを観まくる日々を続けている。

これは何の基礎知識もない、ヲタクでもない、舞台&ミュージカルのアラフォー初心者が綴った鑑賞日記だ。ここから学べることは1つ。「アラフォーになってからも趣味は始められる」ということ。

さあ初心者だからこそ書ける見当違いかもしれない舞台&ミュージカル鑑賞記録を始めよう。

ミュージカル
「モーツァルト!」

6月25日 @帝国劇場

 

creative

脚本/歌詞: ミヒャエル・クンツェ
音楽/編曲: シルヴェスター・リーヴァイ
オリジナル・プロダクション: ウィーン劇場協会

演出/訳詞: 小池修一郎

音楽監督: 甲斐正人
振付: 前田清実
歌唱指導: 山口正義/やまぐちあきこ
美術: 松井るみ
照明: 笠原俊幸
衣裳: 有村 淳
ヘアメイク: 宮内宏明
ウィッグ製作: スタジオAD
音響: 大坪正仁
映像: 奥 秀太郎
舞台監督: 廣田 進
演出助手: 小川美也子/末永陽一
指揮: 宇賀神典子
オーケストラ: 東宝ミュージック/ダット・ミュージック
稽古ピアノ: 國井雅美/栗山 梢
制作: 廣木由美/細川ゆう子
翻訳協力: 萬代倫子
プロダクション・コーディネーター: 小熊節子
プロデューサー: 岡本義次/坂本義和/篠﨑勇己

後援: オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム

製作: 東宝

 

cast

ヴォルフガング・モーツァルト : 山崎育三郎 / 古川雄大

コンスタンツェ(モーツァルトの妻): 平野 綾  / 生田絵梨花  / 木下晴香

ナンネール(モーツァルトの姉): 和音美桜

ヴァルトシュテッテン男爵夫人 :  涼風真世  / 香寿たつき

コロレド大司教 : 山口祐一郎

レオポルト(モーツァルトの父): 市村正親

セシリア・ウェーバー(コンスタンツェの母):  阿知波悟美
アルコ伯爵 (コロレドの部下):  武岡淳一
エマヌエル・シカネーダー(劇場支配人):  遠山裕介
アントン・メスマー(医師) :  戸井勝海

 

観れば観るほど魅力を発見できる緻密に構築された「THE ミュージカル」

3回目の鑑賞であり、今公演期間最後の「モーツァルト!」鑑賞。
最初に観たのはまだ東京公演序盤で、観客もそわそわした雰囲気が帝劇内に漂っていたが、今回は東京千秋楽近くということもあり、おそらく自分と同じように複数回鑑賞したしたもいるであろう慣れた雰囲気が多く占め、今回の「モーツァルト!」に対してフレッシュさよりも円熟味を観客のムードにも感じた。

 

3回目の鑑賞でおそらく初めてとなる芸術鑑賞の学校行事の学生が後方部座席を占めていた。学校によっては、その鑑賞態度が非常に悪い生徒が多いところもあるが、今回の学校は大人しめな印象で、変なざわついた雰囲気にならなさそうで良かったと一人で安心。

今回も隣の席は男性で、いかにも普段はミュージカルなんて観なさそうな若い男性。場慣れない雰囲気でちょっと緊張感が伝わる。と思いつつ、自分も(若いという部分はさておき)他のミュージカル女子たちには同類に見られているかもしれないが(笑)

 

3回目にして、ついに山崎育三郎ヴォルフガングを鑑賞して、一言、「山崎育三郎ヴォルフガングは神!」

同じ演目でも、古川雄大ヴォルフガングとはまったくの別物だった。もちろん古川雄大バージョンも悪くはないが、育三郎バージョンは何十倍も素晴らしい。
ヴォルフガングとしての場数の差でもあり、キャラクター的にもヴォルフガングらしさが育三郎の方がピッタリ感があっただけでなく、作品の意味や狙いを完璧に演じ切っていて、ヴォルフガングを完全に自分のものにしている感がヒシヒシと伝わってきた。

雄大ヴォルフガングは、まだ「ロミオ&ジュリエット」のロミオの雰囲気が滲み出ていて、フレッシュな王子様感が強いが、育三郎ヴォルフガングは、才能に溢れ、天真爛漫な計算を知らない真っ直ぐなアーティストでありながら、その才能以外の人間的欠如に悩み、その欠落が故に周囲の人間と衝突してしまう愛おしくもダメ人間感という、おそらく育三郎がイメージしているであろうヴォルフガング像がものすごく伝わってきた。

 

ここで教訓。
「ダブルキャストのミュージカルを観る時は、絶対にすべての配役がメインの回を観るべき」
特に初めてミュージカルを観る人や初めての演目を観る時は絶対ルール。
もちろん今回は3回目の鑑賞ということもあり細かく理解していたということもあるが、それでもまったく違って驚いた。言い方は悪いが、同じ料金を取るのはおかしいと思うくらい(雄大ヴォルフガングを安くしろということではなく、育三郎ヴォルフガングなら割増料金でも喜んで払って見たいという意味)

ミュージカル界も、新規ファンを増やすことを考えるなら、初めてミュージカルを観るという人には「ダブルキャストのメインキャスト揃いの回」を優先的に見てもらうよう誘導することを提案したい。
同じミュージカルでも、(自分は観たことはないが……)ダブルキャストのセカンドキャスト揃いの回というのがあれば、おそらく全然伝わるパワーが違うと想像する。(何度も書くが、キャスト批判ではない)

 

とにかく育三郎ヴォルフガングは素晴らしかった。山崎育三郎さんが、そしてミュージカル界で絶対的な主役を張れる俳優というものが、圧倒的な存在感とメッセージ性を内蔵したスペシャルな表現者であることを改めて気づかされた。
その輝きを周囲の経験豊富な俳優陣がより引き立たせようとサポートする。これこそが舞台の醍醐味であり、ミュージカルの最大の魅力だと感じた。
「レ・ミゼラブル」も同じだが、こんな場に主要な役として立ち、躊躇や遠慮をまったく感じさせずに堂々と自身の役を演じ、稽古から帝劇での東京公演、そして地方巡業までの長期間、この環境を共有している生田絵梨花は、今後とんでもない女優に化ける可能性を秘めているとその進化がとても楽しみになった。

 

コンスタンツェは〝悪女〟という印象で、最初は正直、生田絵梨花さんには合っていない(もしかすると客寄せパンダ)と予想していたが、意外と悪くはなかったように感じた。もっともベストチョイスとは言い切れないのも事実だが……。
このミュージカルに合わせて改めて資料などを読み、コンスタンツェを知ると、決して単純な悪女ではなく、純粋すぎるが故に妻として相応しくない〝永遠の少女〟だったように感じた。
その点、生田絵梨花さん演じるコンスタンツェは、永遠の少女感があり、大人になれなかった女の子というコンスタンツェの核となる部分が演技ではなく彼女自身のパーソナリティから滲み出ることで、新しいコンスタンツェ像を提案できたようにも思える。
ソニンさんや平野綾さんのような昔アイドル的存在から年齢を重ね、少しスレた大人の雰囲気を出せる女優が演じるコンスタンツェは安定感があるが、生田絵梨花さんや木下晴香さんを今回新たにキャスティングした意図は、もしかするとそんなところにあるかもしれないと勝手に好意的に捉えたりもした。

<鑑賞後の感想>

 

ヴォルフガングの苦悩

才能があるゆえに、そして周囲の人の期待に精一杯応えようとするばかりに、自分の意図とは違った流れで純粋な芸術からお金のためのエンタテインメント作品を作るようになってしまったヴォルフガング。
その結果、ウィーンという嘘偽りで塗り固められた大都会では名声を得るが、無名の頃から彼の才能を信じ、全面的にサポートしてくれていた家族や地元の人からの周囲の評価は下がっていくというギャップに苦しむことになる。

お金は稼げるけど、心は満たされない……。そのぶん憂さ晴らしに無駄金を使ってしまい、借金を繰り返すという悪循環に陥るが、その根本的原因がわからないジーニアスの苦悩。
「家族のために」と都会に出て曲を作りお金を稼いでいるつもりが、離れ離れになっている地元に残されてヴォルフガングの本当の姿を見ることのできない父親には理解されず認められず、地元に帰ってこいとしか言われなくなる。良い作品を生み出すことばかりを考え、お金に執着しない性格が災いして、ヴォルフガングが姉の結婚式のお金を使ってしまったことで、質素な結婚になったにも関わらず結婚式にも出ず、お祝いのお金も出さずとなり、家族との精神的な距離はザルツブルクとウィーンという距離以上に決定的なものになってしまう。
そして自分が生み出す音楽で世間が喜んでくれることを優先してしまい、多くの誤解やすれ違いも生まれ、もっとも身近で彼を信じ、支えてくれていたコンスタンツェとの関係も最悪になってしまう。

才能が突出していて、その才能を消費する大衆の限りない欲求に才能で応えようとする姿勢が、結果、身近な関係から崩壊して、最終的に自身を滅ぼしていく様子は、多くの才能に恵まれたアーティストに共通する〝持つ者故の不幸な結末〟を象徴している。
その天真爛漫な〝神童〟は、神童の純粋な心のまま歳を重ね、周囲は大人扱いしていることに適応しないまま、その才能は消費され、天才の精神はすり減っていく。そんなヴォルフガングの短い人生を見事に育三郎ヴォルフガングは表現していたように思える。