川崎フロンターレ小林悠選手と安彦選手との「友情の20年」の軌跡2
川崎フロンターレ小林悠選手。
2017年のJリーグ得点王であり、MVPに選ばれた日本サッカー界を代表するストライカーと、安彦考真選手は深く長い縁で繋がれていた。
小林選手を高校時代から指導し、その後プロサッカー選手となった小林選手と、まだJリーガーをめざす前に安彦選手はマネジメント契約を結んでサポートをしていた。
あれから3年。Jリーガーとして同じ立場となった2人は、再び強く引き寄せ合い始めつつある。
小林悠選手と安彦選手の20年間の友情の軌跡と未来についての回想記事、第2回。
第1回→ http://www.livest.net/entertainment/5122.html
川崎フロンターレ小林悠選手と安彦選手との「友情の20年」の軌跡
第2回
僕と悠との深い縁が再び動き出す
安彦考真
日本サッカー界の至宝、川崎フロンターレの小林悠。
僕はかつて彼とマネジメント契約を結び、彼をサポートする仕事をしていた。
今は(所属するリーグは違うが)お互いJリーガーとして切磋琢磨するライバル関係。
けれど、いったんピッチを離れれば、20年近く付き合いの続く「年齢の離れた親友」同士のままだ。
僕が40歳で「Jリーガーになる」と決めた時、手にしていた安定収入や地位をすべて綺麗さっぱり捨て去った。
しかし、最後まで手放すのを躊躇したのは、悠とのマネジメント契約の仕事だった。
「彼の家族を含めて、悠の人生すべてをサポートしたい」
その思いは一瞬も薄れたことはなかった。
だからこそ、自分の夢への挑戦と天秤にかけたり、適当に両立するなんてことは絶対にしたくなかった。
人生で一番と言っていいくらい悩みに悩み抜いた。
結論、僕は悠にマネジメント契約の解消を申し出た……。
それが2017年夏。
僕がJリーガーになるという夢への挑戦をスタートさせる直前のことだった。
2020年1月。
僕のプロサッカー選手3シーズン目がスタートした。
それとともに、僕のプロサッカー選手ラストイヤーのカウントダウンが始まった。
僕は今シーズンを最後に現役を退く決意をし、現役最後のシーズンを悔いなく、最高のものにすべく全身全霊をかけてトレーニングに臨んだ。
しかし、その一方で、練習時間以外のオフの時間に、引退後のことも真剣に考えるようになった。
40代で夢を叶えた男の第2章。
そこそこの環境では、きっとすぐに嫌になってしまうだろう。
Jリーガーという子どもの頃からの夢を体験し、その夢のような時間を終えた後、僕はいったいどんなモチベーションを持って次のステージに望めばいいのか……。
僕はとんでもなく考えに考えた。
その時、ふと以前にもこんなに悩んだことがあったことを思い出した。
そう、悠とのマネジメント契約をどうするか悩みに悩んだ3年前の夏のことを。
僕がJリーガーになるという自分の夢を優先した結果、悠と彼の家族の人生のすべてをサポートするという彼との約束はフェードアウトしていた。
そう思っていた。思い込もうとしていた。
中途半端なままにした自分を責め、自分に言い聞かせていた。
しかし、引退後の人生をキャリアビジョンを考えていた時、僕の頭に不意にこう浮かんだのだ。
……いや、そうではなく、もしかすると悠との契約はサスペンデッド状態のままなのかもしれない。
思い返せば、悠とマネジメント契約を解消し、Jリーガーをめざすと決めた時、僕は自身の胸の内で誓っていた。
マネジメント契約があろうがなかろうが、いつか小林悠のサポートができるように、人間として、社会人として自分をしっかりと高め続ける、ということを。
僕は今シーズンが終われば、毎日の練習はなくなる。厳しい節制や体調管理も、プロアスリートとしてのレベルを求めなくて済む。
時間はできる。パワーも有り余っているだろう。
悠とのマネジメント契約を解消した時、自分に誓った「いつか、もう一度、必ず悠をサポートする」という決意を果たすべき時なのかもしれない。
そう考えると、結果的に「40歳でJリーガーになる」というチャレンジは、僕がより成長することに不可欠な修練だったと言える。
なぜなら、Jリーガーであり、プロアスリートである悠と同じ立場にいた経験を生かしたサポートが、今の僕にはできるからだ。
それは、以前マネジメントしていた時には絶対に共有できなかった目線だった。
それだけでも、僕と悠との今後の関係性において、僕がJリーガーを経験した意味があると言えた。
そして、僕が成長したのと同じくらい、同時期に悠もさまざまな経験を積んでいた。
リーグ優勝、得点王、そしてリーグMVP。常勝軍団のキャプテンとして、チームを牽引する立場も長く経験していた。
マネジメント契約を解消して以来、ひさびさにじっくり見た悠の顔は、以前の伸び盛りの若手選手としてのそれでなく、Jリーグを代表する顔としての自信や自覚に満ち溢れた大人な顔に変貌していた。
そう感じたのは、僕と悠がひょんなことからインスタライブでつながった瞬間のことだった。
僕と悠とのネット対談が実現したのは、悠のチームメイトであり、仲の良い川崎フロンターレの長谷川竜也選手と僕がインスタライブを行ったことがきっかけだった。
長谷川選手から直々に連絡をもらい実現したインスタライブに、悠が飛び入り参加した。
そして、その後、改めて僕と悠とのネット配信をしようという話になったのだ。
マネジメント契約解消後も、何かあれば連絡を取ったりはしていたが、2人だけでじっくり話すのは、このインスタライブが久しぶりとなった。
悠のことはある程度わかっているつもりだったが、それだけでは準備不足だと感じ、事前に悠に関するあらゆる記事を読み込んだ。
改めて悠の記事を読むと、どの記事も悠が戦う姿勢やプレーのことが事細かに書いてあって、対談する際にとても参考になった。
しかし、読んでいるうちに、「僕は記者ではない。僕が悠にプレーのことを聞いたところで仕方ない」と考えた。
そこで、改めてもう一度、悠と築いたこれまでの関係を思い出し、ターニングポイントとなるような出来事での彼の表情や思考を思い出そうとした。
それこそ、自分にしかできない対談なのだ。
そう思い始めると一層好奇心が湧いてきた。
僕は、僕だからこその目線で、僕にしかできない分析で臨もうと心に決め、悠とのネット対談に挑んだのだった……。
(つづく)
第1回→ http://www.livest.net/entertainment/5122.html