「教育」プロジェクト<移民たちのリアルリサーチ>第7回
高校時代の安彦考真選手と折笠正治市議会議員
「教育」とは何か?
Jリーガー安彦考真選手にとって、それはプロサッカー選手になる前から人生を通じて自身に問い続けている問題だった。
子どもたちのサッカースクールのコーチや、さまざま理由で不登校になってしまった中高生たちの再起の場として創設した学校の先生として、安彦選手は常に「教育」の現場で活動をし続けてきた。
そんな中でさまざまな経験を経て、多くの子どもたちと触れ合ってきた中で、「教育」の重要性をより認識していった。
Jリーガーになった今だからできることは何か?
この課題に挑むため、安彦選手は高校時代の親友のもとへと向かった。
市議会議員として活動している旧友から聞いた「教育」の場の現実は、想像以上に厳しかった。
Jリーガー安彦考真選手が問い続ける「教育」とは?
自治体から見たリアルな現状について、安彦選手の「移民」に関する最新リポートの第3回。
第1回→ http://www.livest.net/real/4990.html
第2回→ http://www.livest.net/area/4997.html
安彦考真選手と折笠正治市議会議員
市議会議員に聞く、地元に潜む「教育問題」とは?
相模原市議会議員、折笠正治氏を訪ねて
(第3回)
「I have a dream!」
「You have a dream?」
安彦考真
高校時代の悪友とのひさびさの再会を果たしたのは市議会議員事務所だった。
くだらないバカ騒ぎをするか寝てばかりいた教室から、僕たちは時空を超えて今、静かなオフィスのテーブル越しに向き合って座っていた。
制服を脱ぎ捨て、教科書が入れっぱなしだった学生カバンを放り投げ、20数年後、僕たちはいろいろなものを手に入れ、いろいろなものを失っていた。
例えば若さ。
どう遠慮がちに言っても、お互いおっさんと呼ばれる年齢になっていた。
例えばギラつき。
あの頃は大人を見れば攻撃的になってばかりいたけれど、今は無意味なぶつかり合いは自然と避けるようになった。
失ったものは他にもたくさんあった。でも、目の輝きや胸に秘める情熱はあの頃から全然変わっていなかった。
相模原市議会議員の折笠正治。
高校を卒業後、紆余曲折の末、現在は相模原市民のために汗をかき、僕たちを守ってくれている。
そして僕といえば……。
40歳で神の啓示を受けたかのように、ある日手にしていた安定した収入を捨て、裸一貫となってJリーガーになることをめざし、そしてその夢を実現した。
僕たちは「夢」を見つけた。
人生を賭けてもいいと思えるほど、でっかい、熱い自分発の「夢」を。
けれど、相模原市に住む若者たちの中には、そんな夢を見ることができない人たちもいる。
折笠は悲しそうな表情で、そんな厳しい現状を話してくれた。
例えば、彼がサポートし続けている児童養護施設で暮らす子どもたちのこと。
「何らかの問題で親元を離れ児童養護施設で生活をしている子どもたちは、18歳までには施設を出なければならないという決まりがある。そうなると、施設の子どもは18歳になるまでに就職をしなければならない」
けれど、彼ら彼女たちは就職をすることが難しいという。
「運よく仕事に就けたとしても、それらの仕事は厳しい環境の中での作業を必要とするものも多い。だから、彼ら彼女たち頑張りすぎて身体を酷使して壊したりなど、仕事を長く続けることが困難な状態になることが多い」
と折笠は教えてくれた。
そして、身体を壊してしまう以外に、長く仕事が続かない理由の1つに「夢を見る環境がない」「夢と触れる環境がない」ということもあると彼は言う。
「そして、それは言い換えれば、彼ら彼女たちは『夢を持つ』ということ自体、想像ができないということもあるのではないかと思っている」
じつは、Jリーガーのセカンドキャリアの問題も、この「次の人生がうまく想像できない」ということが大きいと僕は睨んでいる。
これまでサッカー一筋で生きてきた選手たちにとって、よく知っている職業といえば、親の仕事か学校の先生、そして子ども時代から指導を受けてきたサッカーコーチくらいになってしまいがちだ。
だから、彼らは誰もが想像のできる「コーチ」になる選手、なりたがる選手が圧倒的に多いのだ。
しかし、それはあくまで生活のための消去法の選択でしかない。
もしくは、ずっとサッカーに携わっていたいという、なんとなくの保守的な考えかもしれない。
もっと穿った見方をすれば、サッカー以外の仕事に就くことを、なんとなく「都落ち」と捉えてしまう無知な面も影響しているかもしれない。
一言で「サッカーコーチ」と言っても、Jリーガーだった人誰もがその適性を持つわけではないし、現役引退後、指導者の勉強をしないままでコーチ業が務まるほどコーチの仕事は甘いものではない。
「自分が本当にやりたいことではない」「資格はあっても適正はない」
それでも、他にどんな道があるか知らないまま、もしくは教えてもらえないまま、Jリーガーたちはなんとかボールを蹴ってお金がもらえる仕事を探し、しがみつこうともがいているのが悲しい現状だ。
僕の話を聞くと、折笠は大きく頷いた。
「施設の子どもたちも同じで、周りには同じ境遇の子ばかりの環境の中で暮らすことで、それが当たり前、それ以外に道はないと無自覚に思い込んでしまう」
施設を出される18歳になったら、とりあえず斡旋された仕事に就く。そのことが当たり前になる一方で、結果的に自分に合わなくて、すぐに辞めてしまうという事例がたくさんあると言う。
けれど、生活のためにお金を稼がなければならない。
だから、「自分は何がしたいのか」「自分は何に向いているのか」が「想像できない」まま、決められたレールに乗って施設を出ていくしかないのが実情らしい。
折笠は、施設に訪問するたびに、自分の無力さを痛感するという。そして、下を向くことなく、なんとかして改善したいと奮闘していると話してくれた。
これは「仕方のない」ことなのだろうか。
施設の子どもたちは、自分たちで好き好んで施設に入ったわけでもないし、好き好んで決められたレールの上のただ進むためだけに生きているわけではない。
僕は高校卒業後に、単身ブラジルに渡った。
それはサッカーを仕事にしたいという「夢」を実現するためだった。
それは誰かに決められたことでなく、自分で決めた道だ。草が生茂り、ほとんど誰も歩いた形跡のない獣道だったけれど、僕は「ここには道がある」と思い込んだ。
実際に僕だけに、そこに道は見えていた。
折笠も同じだ。
40代で安定した仕事を辞め、市民のために働くことを決意した。
選挙という難関を潜り抜け、見事に市議会議員となり、24時間僕たち市民のために活動している。
折笠にもきっと「道」が見えたはずだ。
その道は、他の人には見えないものだったかもしれない。
そもそも道なんて、そこにはなかったのかもしれない。
けれど、折笠の目には、確かにそこに「道」が見えたはずだ。
「夢が見れない」「夢を想像することができない」
若者たちのこの問題は解決が非常に難しい。
それは、僕たちが生きているこの世界は「生まれながらにして不平等な世界」だからだ。
(つづく)
第1回→ http://www.livest.net/real/4990.html
第2回→ http://www.livest.net/area/4997.html