大坂なおみ選手の発信から「移民」について考えた

2020.6.8

安彦考真

「教育」プロジェクト<移民たちのリアルリサーチ>第8回

大坂なおみさん、「スポーツに政治を持ち込むな」ツイートに痛快な反論 『これは人権の問題です』(Yahoo!ニュースより)

https://news.yahoo.co.jp/articles/650a099f05863043edecfc043e1d38398457ceb0

2020年6月8日

アメリカの「今」は10年後の日本の現実的課題だ

大坂なおみ選手の発信から「移民」や「教育」について考えてみた

安彦考真

 

 

移民問題のリサーチを初めてから3ヶ月。いじめ問題を取り組み始めて1ヶ月。

そんな中で起きたアメリカでの差別問題。

移民問題もいじめ問題も差別問題も今に始まった問題ではなく、多くの人たちがずっとずっと苦しめられてきた歴史がある。

移民問題をリサーチしていく中で僕が感じたのは「人の感情」の問題ということ以上に、社会システムや教育のあり方自体に明らかな欠陥があり、それが結果的に人の感情に火をつけ、これらの問題を深刻化させてきた歴史があるということ。

そんな中、今回の大坂なおみさんのツイートで考えさせられる言葉がいくつかあった。

(大坂なおみ選手のTwitter)

https://twitter.com/naomiosaka

 

 

まず1つ目の言葉はこれだ。

「アスリートは政治に関与してはいけない、ただ人を楽しませるべきだと言われることが嫌いです」

これは、まさに今僕が直面している感情だ。

「サッカー選手はサッカーだけしていればいい」ーー僕はずっとそう言われ続けてきた。

かつて「サッカー選手はピッチ上でのパフォーマンスで見せるべき」とファンサービスやメディア取材を拒否した人気サッカー選手がいた。その立ち振る舞いがカッコいいと勘違いした後輩サッカー選手たちはその選手のやり方を真似て、殻をかぶって自分たちの世界に篭るのがJリーガーの主流となった時期があった。

その時代以降、選手が何かを発信しようとすると「そんなことをしている暇があるなら練習しろ!」「試合に負けたのは、そんなことをしているからだ」といった声の大きい少数派の意見が世論と取られる風潮ができてしまった。

 

だが近年は、SNSで多くの選手が「自分の考え」を発信し始めたことによって、今までよりは多少変化があるように思える。

それはある選手の存在も大きいだろう。

(本田圭佑選手のTwitterより)

https://twitter.com/kskgroup2017

 

そう、それは本田圭佑選手だ。

最近は意識的に政治問題や経済問題など、これまでアスリートに限らず日本の著名人が避けてきたテーマに対して、Twitterなどで積極的に自分の意見を投稿している。

それが物議を醸すこともあるけれど、結果的に彼が取り上げる問題が多くの人に知れ渡ることになっている。

そんな本田選手の一連の言動を見ると、そういった効果を狙ってわざとストレートな物言いの投稿をすることで、議論のきっかけを作っているようにも取れる。

 

彼の積極的な発言姿勢もあって、少しずつではあるがアスリートたちがSNSで「自分」を発信することができるようになってきたように感じる。

本田選手以降、長友佑都選手や吉田麻也選手ら、主に海外でプレーする日本代表選手たちが、ただ自分たちの試合結果や日常を発信するだけでなく、社会の問題について積極的に発言するようになった。

そしてその発言の力が、多くの日本人の言動を動かすまでの影響力を発揮するようになってきた。

 

しかし、そんなトップクラスの選手たちと比べて、多くのJリーガーたちはまだその域に達することができていないのではないか、というのが僕の考えだ。

「サッカー選手はサッカーだけしていればいい」といった意見が主流だった時代が長かったせいもあって、まだ思考停止状態のまま、自分の頭で考えるという当たり前のことができない選手も多いように思える。

その結果、選手たちの発信がまだ未成熟な内容でしかない。せっかく発言できる環境が訪れたにもかかわらず、選手自身が未成熟でまともな発信ができないという新たな問題が残ってしまっている。

 

せっかく門戸が開かれつつあり、自身の考えを発信できる時代になったのに、多くのJリーガーたちは、自分たちの思考や言葉遣いが実社会と大きく乖離してしまっているという事実に気づかないまま。

だから、たとえ発言したとしても、結果的に本田選手らのように社会全体に届くメッセージ性とはほど遠い、サッカー関係者以外に興味を持たれない未熟なものでしかない。

“ジーコ超え”Jリーガーが他選手のSNS発信に「どんどん酷くなってる。でも自分じゃ気が付かないんだろうな。結構ヤバい」(Yahoo!ニュースより)

https://news.yahoo.co.jp/articles/9fba84dae5196e726ef42eb35e74f8763b4a13f8?fbclid=IwAR0EhYbxVp2mn7LREOgOtEaK3lYWvKP3dNTpgE48Tkidx4C445kIlFLLpc8

 

僕の見た感じでは、多くのJリーガーの興味や発信内容は、ゲームや女や酒といったものが主だ。

もっとひどいもので言えば、安直なビジネス話を真に受けて簡単に信じてしまっているようなものもある。

一般の人が見たらギョッとするような内容でも、投稿している当の本人やその周囲の選手たちは、その問題に気づくことがない。

しかし、そんな内容の投稿1つで、世の中の人から見たJリーガー像は形成されていく。

そんなことを選手自身が無自覚に続けていれば、「やっぱりサッカー選手はサッカーだけしていればいい」という意見が結局は正しかったという意見に世の中の見方が集約されていってしまうだろう。

 

この問題について、僕の意見は「アスリートは自身の考えを発信しない」時代が長かったせいで、選手たちの目も頭も言葉も未成熟のまま放置され続けてきたせいでもあるということ。

自身の目で実社会のリアルを見つめ、自分の頭で考え、自分の思考で物事を自分の言葉で発するという当たり前のことを、僕たちアスリートは必要とされなかった。

だからずっとやってこなかった。つまり選手は楽をしてきたということ。

そんな状態同士が集う世界では未成熟な思考や言語が当たり前になり、その限られた世界で使われる言語や思考以外耳や頭に入って来なくなってしまっていることが原因だと思う。

一方で、世界で活躍し、世界中に大きな影響力を持つ大坂なおみ選手のような真のアスリートは、自身の立場や影響力の大きさを自覚し、自身の思考を高め、言葉のチョイスを熟考し、それでも言わなければいけないことに対して、勇気を持ってツイートしている。

普通のアスリートとはその責任感と使命感の大きさや重さが別次元なのだ。

「0円でも前を向くJリーガー、YS横浜・安彦 今季限り、42歳の覚悟」(毎日新聞)

https://mainichi.jp/articles/20200524/ddm/035/050/056000c

 

じつは移民問題も同様だ。

コミュニティ内でのコミュニケーションで完結してしまい、外部の情報や意見を正確に取り込みづらい環境を作ってしまっているという点。そして、その中でのコミュニティの情報や意見を、外部に正確に伝えるという意識が希薄になってしまいがちという点、など。

閉じた世界の中で密なコミュニケーションが行われることで、その中で完結してしまうことが増え、コミュニティ内部にいる人たちの外部への意識やコミュニケーション能力が劣化してしまうということが、Jリーガーのコミュニティと日本に住む移民のコミュニティに共通する問題点だと僕は分析している。

 

日本に住む外国人たち、特に労働者として日本に移り住んできたアジアや南米出身者の多くは、同じ国出身の者だけでコミュニティを形成してしまうことで、異国にいるにも関わらず多様性を失ってしまう。

もし今後、移民を受け入れる制度や法律が徐々に整ってきたとしても、それを受け入れる側の「移民」たちが受け入れる気持ちを整えようとしていないなら、その制度や法律は、ただ文字だけのものとなる。移民と地域の境界線は明確に引かれたままで終わってしまう。

僕は移民について調査する中で、この問題に注視し続けてきた。

 

僕が移民問題をリサーチしていると「差別」という言葉をよく耳にする。

差別する側は「差別的な意味はない」という。ただ「移民」の問題に関して、自国民とは「区別」して考えるという思考が根底に存在する。

しかし、それは「移民」側にとっては、結果的に「差別」されているに等しい。

 

その「区別」された移民コミュニティの中で、代々その「区別」という看板をあてがわれた「差別」に彼ら彼女たちはずっと耐えてきた。

結果として、「移民」側は「自分たちは『区別』された自分たちだけのコミュニティの中で働くしか生活できるすべはない」と考える。

そうなると「区別」される側の対処法は「我慢」しかないということになってしまう。

これは「いじめ」と同じ原理ではないだろうか。

(大坂なおみ選手のTwitterより)

https://twitter.com/naomiosaka?lang=ja

 

 

長くなってしまったが、大坂なおみ選手の発信の中で気になった言葉について、もう1つはこのメッセージ。

「あなたの人生に起こっていないからといって、それが起きていない、ということにはなりません」

この言葉は非常に重い。

 

我々日本人は単一言語で単一の民族だと自分たちを考えている。

そんな考えを持つ我々日本人は、世界のニュースに対して他人事になりがちだ。

だから、今回のアメリカでの黒人差別の問題やデモについて、海の向こうの関係ない出来事のように捉えている節がある。

それよりも、芸能人の不祥事や有名人の恋愛についてのニュースが世間話の中心になっている。残念ながら多くの日本人にとっては、海外の差別問題よりも国内のスキャンダルの方が身近に感じる話題なのだ。

 

現時点では、日本で「差別」に関して、アメリカのような大規模デモが行われることはないかも知れない。

しかし、移民問題をリサーチし続けている僕にとっては、今回のことは決して対岸の火事とはとても思えない。僕たち日本人全員がこの問題に当事者意識を持って受け止めなければ、5年後、10年後の日本でも同じようなことが起こる可能性が非常に高いと僕は考えている。

 

知らない人も多いが、じつは日本は移民を受け入れている数でいいうと、世界第4位の国なのだ。

だからこそ、アメリカのような「差別」の問題がいつ日本でも社会問題にまで発展してもおかしくない。

このまま何も対策を施さなければ、人を見た目で判断し、偏った知識で、間違ったジャッジをしてしまう日本人が増え続け、無意識に大勢いる移民を「差別」し続けるかもしれない。そしてすでに国内で一大勢力になっている移民たちによる大規模デモが起こるかも知れない。

今、アメリカで起こっている諸問題が近い将来日本の中でも起きたとしたら……。無策の日本国民はどうこの問題に立ち向かうのか……。

移民問題のリサーチをしている時に、在日ブラジル人コミュニティの人たちからこんな声を聞いた。

「我々はブラジル人だから、ブラジルの感性やアイデンティティに基づいた教育をしたいが、それでは日本でいじめや差別を受ける可能性がある。だから僕らは、子どもには日本の中で生きていけるように日本教育で育てている」

 

一見とても素晴らしいことのように思う。しかし、この声の問題は根深い。そしてこの声の問題に気づかない日本人が少なくないことが問題をより深刻化していく。

日本の経済を支えてくれている移民たちは、生きるために懸命に努力している。しかし、受け入れている僕ら日本人の努力の跡は果たしてどこにあるのか?

 

僕らは知らず知らずのうちに、移民の方たちに生活の多くを支えられている。そして、日本が今後も少子高齢化が進んでいく中、移民は間違いなく重要な存在となっていく。

今、僕たちには、彼ら彼女らを「労働者」としてみるのではなく、一人の「人間」としてみることが求められているのは間違いない。

僕はアスリートではあるが、一人の人間だ。

この世の中で起こっていることすべての当事者である。

もちろん、すべてを解決することはできないが、無関心で他人事として放置することはできないし、したくない。

移民問題もいじめ問題も差別問題も、すべて我々大人が当事者意識を持って向き合わなければ、小手先の制度や法律だけで何かが解決されることはない。

数十年後の日本で、今のアメリカで起きているような問題が起きないよう、僕は今できることに声を上げていきたいと思う。

 

 

 

 

第1回→ http://www.livest.net/real/4743.html

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