「仕事」について改めて考えてみよう

2019.2.12

livest!編集長

社会人の折り返し地点を迎える40代は、自分の仕事の意義について再考する好機

 

編集長のlivest!ログ
2019年2月12日

「仕事」について改めて考えてみよう

 

現役の大学生と話す機会が増えてきた。
彼ら彼女たちとの話の中で、将来についてどんなふうにイメージしているのかを尋ねると、ほとんどの人が「社会に貢献する仕事がしたい」と答えるのがとても印象深い。

どんな仕事でも、どこかの時点で誰かの役に立ったり社会に貢献しているのは間違いないが、彼ら彼女たちのイメージは、もっと直線的に具体的に社会に貢献する働きを求めているようだ。
彼ら彼女たちの言葉や表情からは、働くモチベーションを「お金」ではなく、「やりがい」に重点を置いているという意志を強く感じる。

まだ社会人になっていない立場で、「お金持ちになりたい」「偉くなりたい(社会的地位が欲しい)」ではなく、「誰かの役に立ちたい」「困っている人を助けたい」という思いをためらいなく言葉にできる人は、自分たちの学生時代と比べても明らかに今の大学生の方が多くなっているように思う。
さらに言えば、同じ社会に貢献する動きでも、ボランティア活動に従事するという方向より、困った人のために自らが社会の仕組みを変えるというやり方を志向する人が少なくないのが印象的だ。
そういう意味でも、以前と比べて若い世代の意識の変化は大きいように感じる。

果たして「働く」とはどういうことなのか?
大学生と接する機会が増えるごとに改めて考えさせられる。

そんな時、昨年末放送されたテレビ番組の中で、俳優の妻夫木聡さんが言っていた言葉を思い起こす。
若い頃に共演した縁で20年来の親友同士という嵐の櫻井翔さんと俳優の佐藤隆太さんとのトークの中で、将来どんなふうになっていたいか?という問いに対して、妻夫木さんは照れながらも真剣な口調で「必要とされる人になりたい」と語った。

もちろんお金や名誉が必要ないと思っているわけではないけれど……とその後、妻夫木さんは言葉を続けた。
お金や名誉は後からついてくると信じて、自分が今できること、やりたいことに全力を尽くす。その結果として、報酬が増えたり、何らかの評価が得られると信じて走り続けることが大事だというようなことを、妻夫木さんは真面目な顔で語っていた。

働いていると、特に会社や組織に属して働いていると、いつの間にかお金を稼ぐタームを1ヶ月単位で捉える考えが染み付いてしまう。
バイト代でも給料でも、たいていは1ヶ月単位で計算され、月末など決まったタイミングで1ヶ月ごとに受け取っている。そういう生活を続けていると、お金を考えるイメージとしてどうしても月単位のタームが意識に刷り込まれてしまうのは当然だ。

一方で、画家や彫刻家といった芸術家たちのほとんどが、何年もかけて創作した作品が売れた時点でお金を手にするが、売れるまではどんなに優れた作品を創っている最中でも(前払いなどの例外を除いて)無収入だ。
同じように俳優という仕事をしている人たちも、(所属事務所からの月給制の人などの例外を除き)一般的には配役のオファーを受け、その作品が完成し、披露して初めて対価を得ている。
アーティストと呼ばれる彼ら彼女たちにとって、お金を稼ぐタームはあくまで仕事のオファーを受け、それを期待通り期待以上の出来で完遂するという不規則で不定期なものだ。

しかし、仕事というのはもともとそういうものだったというのを私たちはつい忘れがちだ。
今でも多くの漁師さんは基本的に釣った魚が売れて初めてお金を得るし、大工さんがお金をもらうのは家を建て終えてからだ。海が荒れれば魚は取れないし、家を建てたい人がいない時は無収入だ。
その人にしかできない演技を披露すれば、監督や演出家、プロデューサーに評価され、観客や視聴者に喜ばれる。そしてまた新たなオファーを得ることにつながる。

大学生たちは、基本的には何としても収入を得なければならないという人は多くない。
ほとんどの大学生は、親の支援を受けている。自分の儲けだけで生計を立てる必要に迫られているわけではなく、バイト代は自分の好きなように使うためのお金だ。
自分で自分の生活費を稼ぐサラリーマンと比べると、お金を稼ぐよりも自分のやりたいことを優先できるのは当然だ。だからこそ「仕事」というものに対しての考え方が純粋でいられるのも当たり前だと言うかもしれない。
妻夫木さんの言葉や大学生の思いは「青臭い」と感じるかもしれない。

40代の多くは、社会に出てからの年数がそれまでの年数を超え始め、毎月給料を得る生活を20年続けてきた。所属する組織や会社に対するその貢献度は誇れるものだ。もちろんその期間、直接間接問わず社会に貢献してきたことも同様に誇れることだ。
競争が厳しい芸能界で俳優として自分の立ち位置を模索する中で、妻夫木さんが発した「必要とされる人になりたい」という言葉。そして、困っている人を助けたい、人の役に立ちたいと真剣に語る大学生たち。
そして、私たち。
好きなことを仕事にしているように見えるアーティストや、生活費を稼ぐ必要に迫られている訳ではない大学生たちの社会貢献活動と比べて、どちらが上か下か、どちらが大変かどうかということではなく、同じ「仕事」という視点で一度、自分の人生を振り返ってみることもいいような気がする。

40代。
バリバリ働けるのはあと20年だと考えれば、社会人となってちょうど折り返し地点を迎えつつあるともいえる年齢に差し掛かった。
たった一度の人生。会社や所属する組織に貢献することにすべてを注ぐ働き方もいいけれど、別のアプローチもあるということを一度考えてみても悪いことではないはずだ。
20年前の自分と同じ、まだ何者でもないキラキラした目をした大学生を目の前にして、ふとそんなふうに考えた。

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