心の声を聞き、夢中になれば他者は存在しない

2020.4.27

安彦考真

安彦考真「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」5

時代が大きく変わろうとしている。

世界的なウイルス大流行によって、これまでの常識やルールが一変し、新しい価値観や生活スタイルが世の中に広がっていく。ますます少し先の未来が見えづらくなり、ますます自分というものが分からなくなっていく可能性を秘めた時代の変換期。

40歳でJリーガーに挑戦するという無謀な行動を実践した男の存在が、これまでの時代の常識から外れた「異端児」的扱いから改めて評価されることはないだろうか。

まずは耳を傾けてみよう。これまでの時代ではアウトサイダーだった男のその生き様の哲学を。

 

安彦考真の「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」5

2020年4月27日

Q.アビさんはどうして『絶対的自己』を保ち続けることができるのですか?

20代会社員

A. 心の声を聞き、夢中になれば他者は存在しない

安彦考真

 

じつは僕は自分に自信がない。

自分が他人からどう思われているかなど気にすることも多々ある。

 

しかし、そんなことで悩むのは意味がないと気がついたのは、自分を必死に表現している子どもたちを見た時だった。

もちろん、それだけですべてが変わったわけではないが、間違いなくその体験は自分にとってかけがえのない瞬間だった。

 

その体験とは、発達障害を抱える子どもたちのサッカースクールでのコーチを任された時だ。

 

始める前は、これまでの指導経験からどんな子どもでも上手く指導できる自信があった。

指導者としての経験は16歳の高校生のときから積んでいる。どんな相手でも良い指導方法やアプローチ方法はわかっているつもりだった。

しかし、いざそのサッカースクールが始まってみると、まったく想像と違う世界が待ち受けていた。

僕はいつもサッカースクールで初めて指導する子どもたちと会う時、スクール開始直後に少しフレンドリーに接することで、ほど良い距離感を作ってから臨む。

そこであまりに距離を縮めすぎて、ふざけ合う関係になってしまうと、いざちゃんとしなければいけない時に収拾がつかなくなり、まとめるのが大変になってしまう。あくまでも適度な距離感での触れ合いがポイントだ。

もちろん、過剰に距離を取りすぎると冷めた関係になってしまい、スクールの時間がまるでお葬式のような雰囲気に終始し、限られた指導機会を無駄にしてしまう。

あくまで程よい距離感を大切にしている。

 

この時のスクールも、開始早々いつもどおり適度な距離感を取って始めようと臨んだ。しかし、最初の段階で「今日は自分の思う通りの距離感が取れないぞ」と薄々気がついた。

 

そして、いざスクールの時間が開始すると、案の定「集合」なんて言葉は通じなかった。

みんなが思い思いのことをして思い思いの発言をする。最初は珍しく戸惑ってしまい、普段はほぼ使わない笛を吹いてみたりしたが、なんの効果も発揮しないw

少し焦りつつも、改めて彼ら彼女たちをよくよく観察してみると、それはただカオスなだけではなかった。

彼ら彼女たちは一切ふざけていなかった。とっても楽しそうに自己表現をしていた。誰かの邪魔をしたり、誰かに文句を言ったりする子どもは1人もいなかったのだ。

 

その時にふと思った。

自分がこれまでやってきたことは、ただ単に自分の価値観の中に子どもたちを入れることであり、自分がスムーズに指導できることを最優先にしていたのだと。

彼ら彼女たちが何を求めているかなど、本当の意味で目を向けることはできていなかったのだと。

 

そこからは笛を捨て、大きな声を捨てた。

1人ひとりの興味に目を向け、すぐそばで穏やかな声で問いかけ、彼ら彼女たちの一挙手一投足に大きく賛同を表した。

彼ら彼女たちと接している中で、僕は「夢中」という概念が明確になっていた。

今まで、僕は夢中になっていなかった。夢中になっていないということは没頭できていない。だから、周りの目を気にしていたのだ。

一方で、目の前の彼ら彼女たちはまったく他者の目を気にしてなんていないし、自信なんていう曖昧な言葉で自分を規定してはいなかった。

この体験が僕にとっての「絶対的自己」を持つためのスタートだった。

質問者が僕の言動に感じる「絶対的自己」というものを僕自身が確立できたのは、39歳で仕事を辞め、40歳でJリーガーを目指している最中だと思う。

今思えばそれなりに策略的にやったと言えるものがあったが、それは後付であり、そのときはただただ夢中だった。

40歳でJリーガーになるなんて、計算したり策を練ってなれるものじゃない。本気になっても実現できない可能性の方が圧倒的で、僕の周囲の99%は「あいつはバカだ」と非難した。

周りの声をちゃんと耳に入れていたらとっくに諦めていたと思う。

その時はシンプルにただただ必死だった。

「Jリーガーになりたい」というより、「Jリーガーを目指す」ということに夢中になった。目指しているその過程に人生の輝きを感じていた。Jリーガーという立ち位置や肩書きではなく、40歳でJリーガーを目指しているという「旅の途中」に没頭していた。

 

人は没頭したり夢中になると「時を忘れる」ことができる。

これは物凄い能力だと思っている。

誰が何を言おうが、今自分が一番輝いていると思えることを目指すことこそ「絶対的自己」の確立だと僕は考える。

Jリーガーラストイヤーの今、改めて夢中になることや没頭することの大切さを感じている。

 

情報化社会でどこを見ても「顔の見えない他者」の意見が散見している。その誰かの意見を無条件に自分の思考に反映させてしまう人もいるが、それは間違ったやり方だ。

自分の内なる声に耳を傾けることを忘れ、外の情報で作られた嘘偽りの自分と向き合っているふりをしているだけだ。内なる自分の声は、他者の「いいね」も「リツイート」も関係ない。内なる声に他者からの「フォロー」など必要ないのだ。

求めるべきは、内なる声に自分自身が最大の「いいね」を贈り、その声に従い行動することだ。

この質問をくれた仲間に感謝をしたい。僕も今一度自分の内なる声に耳を傾け、衝動に駆られるくらいの動きをしていきたいと思う。

ありがとう。

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