マスメディアとSNSの最大の違いとは?

2020.7.27

安彦考真

安彦考真「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」20

マスメディアとSNSの最大の違いとは?

ニッカンスポーツでのコラム連載を始めてわかったこと

安彦考真

2020年7月28日

 

ニッカンスポーツの連載を始めて、早くも1ヶ月。

最初は毎週掲載する文章を書くペースがなかなか掴めなかったが、やっと自分なりに書き方のスタイルが固まってきた。

そこで、今回はニッカンスポーツでのコラム連載開始やテレビ朝日「激レアさん」に出演した経験をもとに「安彦考真が考えるマスメディアとSNSの違い」について伝えたいと思う。

ニッカンスポーツでの連載企画は、もともと自分からニッカンスポーツに売り込んで実現させた企画だった。

開始前は、ニッカンスポーツ側に僕のコラム連載を掲載することで、さまざまな利点を伝え、どんな内容にするか細かくプレゼンしていたので、ニッカンスポーツから正式な連載開始の連絡があった時はワクワクした。

しかし、実際に連載を始めてみたら、企画提案時には想像もできなかった大変さが待ち構えていた。

多くの人が想像するであろう、締切や文字数の制限などの物理的要因は、普段から定期的にブログなどに文章を掲載している僕にとっては問題ではなかった。

むしろ、普段から個人のSNSやブログなどで文章を書き慣れてしまっていたからこその、大変さにぶち当たったのだ。

0円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー

「0円Jリーガー」として活躍中のFW安彦考真(42=YSCC横浜)が、自身の感じるスポーツ界などの疑問を語ります。40歳だった18年にJ2水戸で練習生を経て〝ほぼ0円〟でプロ契約。選手活動と並行して社会問題解決にも取り組むストライカーが〝オフサイド〟覚悟で切り込むコラムです。

https://www.nikkansports.com/soccer/column/abiko/

 

 

意外かもしれないが、僕はこう見えて文字を書くことが嫌いではない。

アスリート、特にJリーガーはこれまで自分で文章を書く機会も必然性もない環境だったため、自分で文章を書くのが苦手だという人が少なくない。

普段みなさんが目にしているアスリートの記事は、書く専門家であるライターさんが、アスリートやJリーガーにインタビューして書いている。

雑誌の誌面を見ると、みんなスラスラ理路整然と話しているように思えるが、実際はプロのライターさんの手腕で〝読める〟文章に装飾してもらっているだけだ。

Jリーガーたちは、自分で文章を書かなくても、インタビューに応じて話していれば素敵な記事を作成してもらえるので、わざわざ自分から苦手な文章書きをやってみようと思う気になれないのは仕方がないことだ。

けれど、僕はJリーガーになるまで、社会人として活動していた時期が長かったこともあって、自分で文章を書くことに慣れている。

だからこそ、ニッカンスポーツでのコラム連載も楽勝とまでは思わないが、「書く」ことについてはまったく心配していなかった。

しかも、今回は「文字数の制限で苦しまないように、まずはWEB版から始めましょう」というニッカンスポーツさんからの提案があり、ますますコラム連載に対して自信を深めていた。

「いつも通り、自分のSNSやブログで書いているように書けばいい」

今まで僕のことを知らなかったり、僕のSNSやブログを読む機会がなかった人に、僕の文章を読んでもらえることが楽しみで仕方がなかった。

[caption id="attachment_1998" align="alignnone" width="800"] 思い返せば、ブラジル留学をした時、しょっちゅう手紙を書いていた。[/caption]

今のようなフレキシブルな料金体系がなかった当時、地球の逆側のブラジルと日本では国際電話の料金は異常に高かった。もちろんまだスマホやメールといったものもなかったから、日本とのやり取りはすべて手紙で済ませていた。

ブラジル滞在時、2年以上も手紙を書き続けていたことで、自分の想いや思考を文字にすることに自然と慣れていった。

そこくらいから、僕の中で「文章を書くこと」に対して抵抗がなくなり、むしろ得意な部類に感じていた。

しかし、実際にニッカンスポーツ用の文章を書いてみようとすると、私信の手紙や個人SNS・ぶログとはまったく別次元の難しさに直面したのだった。

まず、今回の連載コラムは当たり前だがブログではない。

ブログや個人SNS、私信の手紙のように自分の思ったことだけをつらつらと好き勝手に書けばいいというものではない。

また、ブログは基本的に僕のことを知っているという前提で(もっと言えば、多くは好意的に)読んでくれるので、前提となる説明も不要だし、正直、ちょっと内容が薄いものでも問題はない。

しかし、マスメディアに掲載するコラムとなるとそうはいかない。

それは、今回の企画は「ニッカンスポーツというマスメディア」の名のもとに発信するものであって、僕個人の発信ではないからだ。

もちろん、書いているのは僕自身だが、その発信元は日刊スポーツというマスメディアなのだ。そうなると、この発疹が届く読者層や範囲が個人での発信とは大きく変わってくる。

当たり前だが、僕のことを一切知らない人もニッカンスポーツの記事ということで目を通すことがあるのだ。

僕の署名で書いた文章が、僕だけの責任だけでなくニッカンスポーツの監修責任のものとして世の中に出る。読み手もそのつもりで読む。

このことだけでも、個人の発信とはまったく次元が違うものになる。

連載開始前は、正直、そのことの重みを恥ずかしながら本当には理解していないまま、単純にワクワクしていたのだ。

安彦考真 Twitter

https://twitter.com/abiko_juku?lang=ja

 

 

インターネットやスマホが登場し、SNSというものが当たり前のコミュニケーションツールとなったことで、それぞれが自分の意見を自由に発信できるという点において、現代は非常に便利な世の中だ。

しかし、その個人レベルの発信とマスメディア経由で発信するのでは大きな違いがある。

その違いはたくさんあって、ここでは書ききれないが、僕個人がニッカンスポーツで連載をスタートさせたことで感じた違いを書き出したい。

まず、その時々の個人的感情レベルで発信するSNSと違って、どこかに読み手にとって有用な情報が含まれていることが大前提となるということ。

情報が溢れる現代社会の中で、どの情報の信憑性が高いのか。

フェイクにまみれた玉石混淆の情報の波を受け続けている我々は、常にその中から「本物の情報」を探している。

すでにある分野で一定の信用を得ている著名人の発信ともなれば読み手も安心して読むことができるが、僕のような立ち位置では、まずは「正しい情報である」ということは絶対厳守しなければならない。

個人ブログやSNSのように、勢いで取り上げた内容がじつはフェイクだったり、間違いだったりすることもあり得る「速報性を優先する」メディアと違い、マスメディアに掲載する文章に不確定要素はできる限り排除しなければならない。

そして、その情報は正しいだけでなく、できるだけ多くの人にとって有用でなければわざわざマスメディア経由で発信する必要はない。

「今日何食べた」レベルの発信者のファンだけが喜ぶプチ情報でも意味がある個人レベルのSNSやブログとは大きく異なるのだ。

 

そのためにも、僕にしか書けない視点を大事にする。そして、自分の経験談レベルで結論づけることなく、一般化したレベルにまで深めること。

また、できるだけ多くの不特定多数が「つまり、こういうことだよね」とそれぞれが納得できるものにしなければならない。

書き始めて見えた個人メディアとマスメディアの立ち位置のギャップに対して、僕は最初、書けば書くほど迷子になった。

正確で重要なことを伝えたいという思いを優先してしまい、一般論で終わってしまう「僕じゃなくても書けること」を書いてしまったり、逆に狙い過ぎて的外れな方向性に走ってしまう文章になったりした。

僕は週1回の連載の文章を書くのに、今までに経験がないほど時間を要し、何度も何度も何度も書き直す羽目に陥っていた。

そんな時、僕はどうやってピンチから脱出したのか?

それは「僕は物書きじゃない。だから、いい文章を書こうなんて思ってはいけない」と開き直ることだった。

そして、僕は評論家でも専門家でもない。あくまでも経験をした人がほとんどいないチャレンジを実現した、現役のJリーガーだという立ち位置を思い出すことだった。

その立ち位置がレアだからこそ僕にしか語れない角度のテーマがあり、そのテーマに対して僕がとった行動が、その行動の結果得たものが、誰にも通じる普遍的な教訓として僕の手に残る。

その手にした経験をもとに文章を書くことで、不特定多数の人にも関心を持ってもらえ、さらに多くの人が「わかる、わかる」「なるほど、そういう考えもあるのか」という共感を生むのだ。

「マスメディアに自分の文章を載せる」というのは、サッカー選手が毎日毎日いろいろなことを想定して、練習に練習を重ねて、試合で最大のパフォーマンスを出すことと同じくらい大変なことだ。

実際にやってみて、改めてそのことに気づかされた。

僕はニッカンスポーツのコラム連載の経験を通して、さまざまな視点を持つことを学んでいる。

僕のオリジナルな視点がニッカンスポーツに掲載することの意味としっかりリンクしているかどうか。そして、読者の目に触れた時、「なるほどね」と思わせるポイントをついているかどうか。

気軽に誰でも発信できる時代だからこそ、誰の心にも残らない記事になる可能性がある。

僕は僕の発信する情報に有用な価値と信憑性を持たせたいと思って、毎週のコラムを必死になって書き続けている。

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