年齢を重ねることで「視野が広がる」ことの功罪
若い頃を振り返ると、あの頃は視野が狭かったと思う。
そう感じるのはきっと、年齢を重ねることでいろいろ経験し、若い頃よりも「視野が広がった」からだろう。
けれど、それが本当にいいことばかりとは限らないのでは?と最近感じる。
視野が広がることで、トライする前から「失敗の可能性」がたくさん見えるようになる。
若い頃には気づかなかった注意点や落とし穴も、今では簡単に見通せるようになっている。
だから簡単には失敗しない。
それは、今までの自身の失敗経験や、周囲から学んだ失敗例が、若い頃と比べて何倍も「知識」として蓄積されているからだろう。
それは、「年の功」と言えるものかもしれない。
しかし、そのぶん「挑戦」に億劫になってしまっているのは間違いない。
何をするにも、視野の中に見える失敗の可能性が気になってしまう。
今から見ればあんな無謀な「挑戦」も気軽にトライしていた若い頃の自分と、今の自分が同一人物だとはとても思えない時がある。
だから、「視野が広い」ことは、決して万能な武器ではないのかもしれない。
何事も挑戦しなければ何も得るものはない。
失敗を予見し続けて失うものがない生き方は、本当に賢い生き方なのだろうか?