酷使した体から未体験のSOSサインが鳴り響く

2020.4.22

安彦考真

「食」で肉体は蘇る!40歳Jリーガーの体質改善物語(第2回)

40歳で子どもの頃からの夢だったJリーガーとなった安彦考真選手。

ケガによって20代で早々に現役引退後、20年のブランクを経て改めてトップアスリートの一員となった安彦選手。40歳の彼の肉体は、数値上は20代の選手にも負けないものだった。

しかしその常人離れした肉体でさえ、プロサッカーという過酷な勝負の世界で戦い続けることは難しかった。

自分の子どもほどの年齢の選手たちと対峙するために、常に全力を出し続ける必要があった。40歳を超えた肉体にとって、その負荷と疲労の蓄積は想像以上だった。

3年目のシーズンを迎えた2019年、安彦選手の肉体はすでにボロボロだった……。

 

ケガ続きのシーズンを終え、ラストイヤーと位置付けた2020年。最終年に最高の結果を残すべく、安彦選手は闇雲に体を鍛えるのではなく、体質を根本から改善することを試みる。

これは40歳でJリーガーとなった1人の男が徹底的に「食」を見つめ直し、さまざまな療法に取り組んだプロセスを赤裸々に語る物語だ。

「食」に関するさまざまなアプローチを実体験し、その時々の心境や結果を正直に綴った安彦考真選手による「40歳から始める体質改善」のリアルストーリー。

Vol.1はコチラ→(http://www.livest.net/real/4827.html

 

「食」で肉体は蘇る!40歳Jリーガーの体質改善ストーリー

vol.2

酷使した体から未体験のSOSサインが鳴り響く

安彦考真

Vol.1はコチラ→(http://www.livest.net/real/4827.html

 

現役最後のシーズンと宣言して、強い決意で迎えた2020年。

しかし、年初の自主トレの時から感じていた嫌な予感がチーム練習の開始直後に現実のものとなってしまった。

 

チーム練習2日目のトレーニング中に内転筋を負傷しリタイア。

すぐに病院で診察を受けたが、非常に残念なことに復帰まで1ヶ月という診察結果。再びここ半年以上断続的に続けてきたリハビリ生活に逆戻りとなってしまった。

 

一瞬は落胆した僕だったが、ラストイヤーを納得するものにしたいという決意を思い起こし、折れそうになる自身の気持ちを再び奮い立たせ、リハビリをスタートした。

Y.S.C.C.横浜のトレーナーやチームドクターはもちろん、僕の体を長年チェックしてくれているパーソナルトレーナーも、僕の強い思いに応えて本当に全力を尽くしてくれた。

 

しかし、今回のリハビリはなかなか状況が好転しなかった。

「今年を最後のシーズンと決め、強い決意を持って準備してきたのに……」

始動早々からチーム練習にさえ参加できない現状に落胆の思いは募り、同時に自分自身に怒りが日々増すばかりだった。

「もう今シーズンの開幕には間に合わない……」

 

そう諦め始めていた頃、事態は予想外の展開となった。

J3の開幕日は3月9日だったが、コロナウイルス感染拡大の影響により開幕が2週間延期となったのだ。

 

多くの苦しんでいる人がいるということ、そしてこれからの日本、そして世界がどうなってしまうのかという心配がまず僕の頭の中を支配した。

そして、せっかく昨シーズン以上の結果を出そうと一致団結して練習を積み重ねてきたチームのことを考えればまったく喜べる状況ではなかった。

 

しかし、ケガで開幕に間に合わないと落胆していた僕にとっては、リハビリに励むことで(いつリーグが再開されるかはわからないが)復帰するためのアディショナルタイムを与えられたような状態になった。

 

諦めや怒りで揺れ動いていた感情を整える時間が与えられた。そしてケガ続きの自分の体のことをもう一度冷静に見つめ直す機会を得ることができた。

「この時間を生かさなくては……」

刻々と変化するニュースの内容も気にかけつつ、まずは自分のリハビリに集中することにした。

 

少し与えられた時間が延びたことで、僕の体は順調に回復してはいた。しかし、どこかしっくりこない体調が続いていた。

Jリーガーになってから、より厳しいトレーニングを続けることで、また何より体調管理を徹底してきたことで、プロアスリートになってからの僕は自分の体の細かい変化に敏感になっていた。

この時の状況を具体的に記せば、血圧が少し高くなり、体重の微増がみられた。また、漠然とリハビリ中に感じる嫌悪感は、過去のシーズン中にはあまり感じられなかった感覚だった。

 

振り返ってみると、この血圧の数値や体重の変化、そして違和感は昨シーズン後半のリハビリ生活の頃から続いていた。

この兆候は微細ではあるがプロアスリートとしては看過できない変化だった。しかし、その時はとにかく1日でも復帰することしか考えていなかった。その体からの微弱なサインを見て見ぬふりをして忘れようとした。

最後のシーズンと決めた2020年。

僕はまずこの放置していた問題の改善に取り組むことにした。

 

2020年に入ってから、僕は毎朝、体温、体重、血圧、脈拍を計測し、僕をサポートしてくれているトレーナーチームと作ったLINEグループに毎朝投稿することにした。

また主観的ではあるが、身体のあらゆるパーツの疲労度を自分なりに数値化して毎日細かく伝えるということも始めた。

 

すべては専門家の知見を借りて、少しでも違和感の改善につなげたいという思いからだった。

しかし、相変わらず数値はベストに戻ることなく、またその原因はわからず終いのままだった。

 

そしてこの頃、さらなるトラブルが僕を襲い始めた。

3月、毎年恒例の大嫌いなアイツがやってくる。

そう花粉症だ。

 

5歳からの長い付き合いなのに全然良いお付き合いができない腐れ縁の花粉症だが、プロアスリートになってからさらに状況は悪化していた。

ドーピングの問題もあり、一般に処方される花粉症の薬を服用することができなくなってしまうため、僕の目や鼻や喉は、花粉のなすがままとなってしまっていた。

 

朝起きれば目は開かないし、鼻は常に詰まっているのでどうしても口呼吸となり、常に口に中がカラカラ。結果喉もやられる。(僕は耳の中も痒くなる本格的なタイプだ)

さらに、これは花粉症とは関係ないが、僕にとって春は便秘が続く時期でもある。

元々腸が弱いので、便秘は最長3日になることも多々あった。その反面、すぐにお腹もくだしてしまう。(見た目とは正反対の繊細なのだ)

 

花粉症や便秘は毎年恒例のもので、それによる体の変化やサインは理解しているつもりだ。

しかし、今年に関していえば、血圧や体重など、例年の恒例の春の体調不良とはまた何か違う問題が上増しされているように感じてならなかった。

 

早期の復帰を目指すため、懸命にリハビリに取り組みながらも、僕は徐々に体の違和感が単なる疲労だけが原因ではないのではないだろうかと感じ始めていた。

(つづく)

 

Vol.1はコチラ→(http://www.livest.net/real/4827.html

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