「老後に2000万円」の本当の問題点とは?

2019.7.4

livest!編集長

人生を哲学的に見つめ、日々考えたことや感じたことを書き留める「人生哲学研究家」のブログ。

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2019年7月4日

「老後に2000万円」問題を改めて考えてみた

「老後に2000万円」の話題が多くの人の関心ごとになりました。
「老後に年金以外に2000万円が必要」という金融庁の金融審議会市場ワーキング・グループの報告書の内容は、私たちの身近な〝隠された課題〟ということで、瞬く間に注目を集めました。

誰もが漠然とした不安を持つ「老後」。

古今東西すべての人間にとって「老い」は避けることのできないものにもかかわらず、ここまで「老後」について国民全体がネガティブに捉える風潮があるのは、日本が抱える大きな問題の写し鏡だと言えるかもしれません。

しかし、この「老後」という言葉。
よくよく考えてみれば具体的には何を指すのでしょうか?

「年老いた後」というのはいつからか?

精神的な老いなのか、肉体的な老いなのか。明確に「私は今日から老後になりました」という境界線は誰にも明確にはできないはず。
それでも国民全体の関心ごととして、何の説明もなく「老後」という言葉が共有されているのは、改めて考えてみれば不思議な現象です。

ニュースを見聞きした限りでは、この「老後」に該当するのは「定年後」というふうに解釈するのが一般的な考え方と捉えられるでしょう。

60歳前後の定年後、長年会社からもらってきた給料がなくなり、その後は(その間の空白期間も問題となっていますが)基本的には積み立ててきた年金で生活するーーというのが日本のスタンダードな「老後」の生活だと多くの人が無意識に受け入れていると思います。

そしてその定年後から寿命を全うするまで充実した「老後」を過ごすためには、それまでに毎月積み立ててきた年金に加えて「約2000万円を自分で準備する必要がありますよ」というのが今回の金融庁の提案の主旨でした。

この提案の是非、金額の是非はさておき、そもそも「老後」と銘打たれた個々の人生の終盤戦を「定年後の第二の人生」というふうに多くの人が無意識に受け入れていることの方が問題のような気がします。

「定年」を分岐点に、お金をくれる先が「会社」から「国」に変わるという前提は、サラリーマンだけのものでしかないということ。
そしてお金をもらう先が変わる「定年後」というポイント以降を、当たり前のように自分の人生の「老後」と捉えてしまうこと。

フリーランスとして生きる人も増え、お金の稼ぎ方も多様化している中、自分の人生を国や会社が勝手に決めたルールに合わせることに疑問を持たないことはとても危険なことではないでしょうか。

改めて考えてみれば、日本で報道されるニュースや話題の多くは、サラリーマンを想定した基準やルールがベースにあるものが少なくないことに気づきます。

日本人の多くが会社勤めであることは事実です。だから共通ルールの土台にサラリーマンの目線や習慣が入り込むのは仕方のないことかもしれません。特に高度成長期に作られた〝暗黙の国民の共通ルール〟の多くはその傾向が強くなるのも当然でしょう。
けれど、そういった中に潜む〝時代遅れの共通ルール〟を、何も考えずにそのまま受け入れてしまっていることはとても危険な行為だと感じます。

それぞれの世界には、そのコミュニティ独特の〝暗黙の共通ルール〟というものがあることが多々あります。

例えばサッカー界にも独特の暗黙の共通ルールがあり、その中で活動する人は無自覚にそのルールを当たり前のように受け入れていると感じることがあります。

Jリーガーと接して驚くのが自分の少し先のスケジュールを把握していない選手が多いこと。

公式戦の日程は早くから決められていても、試合に向けての練習時間や休養日などのチームの活動予定は監督が直前に変更することも多いため、翌日のスケジュールさえ前日まで確定しないことを当たり前に受け入れている選手たち。そのスケジュールの確定をチームスタッフから連絡を受けるのを待つだけで、自主的に先取りして確認しようとしない選手の受け身の姿勢。

試合に向けての移動も、チームスタッフに言われた時間に指定された場所に行くだけ。ほぼすべてのことに対して指示待ち人間状態の選手の姿勢に驚かされることも少なくありません。

日々のスケジュールはチームが決め、チームの指示のままに行動することが無意識に染み付いている選手たち。

海外に行く機会の多い日本代表クラスの選手でさえ、プライベートで海外に行くとなった際、どこでどうやって飛行機のチケットを買えばいいのか、空港のどこに何時までに行けばいいのか、飛行機に乗るまでに何をしなければならないのかなど、自分では何もできないということが起こります。

「老後に2000万円」の問題も、批判したり困惑したりする気持ちの根底には「会社や国が明確な指示を出してくれないから」「会社や国が守ってくれないから」という受け身の意識がないかどうか。個々人が胸に手を当てて考えてみる必要がありそうです。

そして「老後」という言葉を簡単に受け入れないことも大事。

『人生に「老前」がないように「老後」なんてない』ということ。

自分の人生は「入学」や「卒業」「就職」「定年」といった国や社会が勝手に決めたポイントで区切らず、自分だけの自分のための人生設計をする。そう考えれば「2000万円」という金額がまったく具体的ではないと気づくはずです。

自分の人生設計は世間が決めた共通ルールでなく自分だけの基準で作る。その意識を今から持っていれば、慌てて金融機関が勧める投資話に乗っかってしまうこともないはず。
自分ですべてを決めることは厳しいこと。それでもそれが「自分らしく生きる」ために必要なことであることは胸に刻む必要があると言えます。

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