「本来無一物」という禅の教え

2019.3.7

livest!編集長

ツライのは足りないのではなく、余計なものを背負い込み過ぎているからかもしれない

ゼロからの挑戦を支える「本来無一物」の精神

40代で新たな挑戦を続けるJリーガー安彦考真選手。

今週末からJ3の2019シーズンが開幕するが、41歳となった安彦選手は目標のプロリーグ公式戦デビューを狙っている。

リーグ戦に出場すれば、Jリーグの史上最年長での公式戦デビューとなるが、この記録保持者は、あの神様ジーコ。

Jリーグ元年の開幕戦に出場した時、ジーコは40歳だった。安彦選手が出場すれば、Jリーグ初年度以来誰にも破られなかった〝不滅の記録〟を27年ぶりに更新することになる。

そんな常識破りのプロサッカー選手、安彦考真選手だが、もう1つ常識破りなことがある。それは毎年のプロ契約を0円で結んでいることだ。

※Jリーグ規約により0円でのプロ契約は認められていないため、形式上、現在の所属クラブとは月10円での契約となっている(昨シーズンは月1円で契約)

40歳で収入ゼロ。普通なら絶対に選ばない契約を結んでサッカーに打ち込んでいる安彦選手。しかし、なぜか表情は晴れやかだ。そんな彼の姿勢から学ばされることは多い。

人生を哲学的に見つめ、日々考えたことや感じたこと、学び、体験についての思いをまとめ、書き留める「人生哲学研究家」のブログ。

編集長のブログ
2019年3月7日

 

「人は生まれた時、身体一つだった」

歳を重ねるごとに経験や知識が増えていく。
学歴や仕事の実績、肩書きなど、履歴書を作るとすれば毎年書くべき欄は増えていく。
改めて自分の部屋や机の引き出し、クローゼットの中を見れば、これまでの人生の中で手にしたモノや思い出、記念で溢れていることに気づくだろう。

しかし身の回りのモノは増える一方でも、何か満たされない思いは歳を重ねても消えることはない。
「自分には何か足りない」
けれど、何が足りないかはわからない。不完全さや喪失感。
そんな思いは、これだけモノや思い出、経験で溢れかえった人生の中でさえ、消えることはない。

多くの人は毎日真面目に活動する。努力を積み重ねる。そして日々少しずつレベルアップ、キャリアアップを繰り返していく。
私たちは、自分の人生を「足し算」で考えがちだ。
お金を稼いで欲しいモノを手に入れ、努力して学歴や実績を積み重ね、歳を重ねるごとに身の回りのモノや経験はどんどん増えていく。「未完成な自分」をよりよくするため、少しずつ人生にモノや実績をたしていこうとする。
しかし、本当に人生は「足し算」でしか満たされないのだろうか。

「本来無一物」という教え

「本来無一物」
「禅」を大きく花開かせた「大鑑慧能」という禅師の教えだ。
私たちは生まれた時、裸の身一つでこの世に生を受けた。
慧能の教えは、何一つ手にしない状態で人生をスタートしたのだから、何かが足りないから人生がツライのではなく、本当は余計なものを背負い込み過ぎてしまっているからシンドイのだというものだ。

慧能の教え「本来無一物」に習うなら、「人生がツライ」「自分だけがうまくいかない」と思った時、生まれた瞬間の「丸裸の自分」に立ち返ってみることだ。
禅に倣うなら、座禅を組み、薄目をつぶり、邪念を払って瞑想する。
身の回りのモノや煩わしさ、煩悩を忘れ、無の境地になってみる。着膨れした人生から余計なものをすべて脱ぎ去ってしまう。
人生をゼロの状態にリセットしたと考えみた時、今の自分の境遇は別の視点で見ることができるはずだ。もしかすれば「思ったほど悪くはない」と感じられるかもしれない。

40年以上、真面目に真摯に生きていると、無意識に絶えず「自分は何をしてきたか」「何ができるのか」「何を得られるのか」という重圧を自分にかけ続けてしまう思考回路ができがちだ。
「評価される何か」「讃えられる何か」「尊敬される何か」を得なければならないと考え、自分を追い込んだり、責めたりもする。
そんな「足し算」の思考を重ねるうちに、人生がツライものに感じてしまうのは当然のことだ。
けれど、ゼロの状態で生まれてから、40年という時間の中でどれだけ多くのことを乗り越え、経験し、得てきたかを思い出せば、人生はそれほど悪いものではないはずだ。

ツライ、苦しいと思った時は、一度座禅を組んで瞑想して澄んだ心と頭で人生を振り返ってみる。
本格的な坐禅である必要はない。正式な手順なんて無視すればいい。
生まれた時、私たちは裸一貫で何も持ち合わせていなかった。真っ暗な暗闇から生を受けた時、この世界はきっと光り輝いて見えたはずだ。

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