人生のスポットライトが照らすその先は?

2019.6.27

livest!編集長

人生を哲学的に見つめ、日々考えたことや感じたことを書き留める「人生哲学研究家」のブログ。

編集長ブログ
2019年6月27日

「誰もが人生で15分は有名になれる」その先にあるもの

40代。自分の人生の折り返し地点を過ぎていることをはっきりと自覚する今、改めて「残りの人生の歩き方」について考える日々だ。

「過去」は変えることができない。しかし「未来」ならあるいは可能かもしれない。

そのためにはこれまでの40年、「何が良かったか、何が足りなかったか」をしっかりと振り返り、その分析結果を「現在」に反映させる。変えるべき点は変え、続けるべき点は続ける。その延長線上に、変わった「未来」があると考える。

「他人の芝生は青く見える」

これまでの人生の中で多くの「スポットライトを浴びる人」たちと出会ってきた。
そんな〝時代に選ばれし人たち〟と接した当時の自分を思い起こすと、そんな陳腐なフレーズが頭に浮かぶ。

今も昔もその時代のスポットライトの真ん中にいる人はたくさん存在する。
そして幸運なことに、仕事上、今までの人生の中でそういった〝時代に選ばれし人たち〟が近い距離にいることも少なくなかった。時にその眩しさに目を細めることもあった。

「誰もが人生で15分は有名になれる」

そう言ったのはアンディ・ウォーホール だった。

40年生きてきてわかったことは、インターネットの発展でスポットライトを浴びるチャンス(時に悲劇)は誰にでも起きうることだということ。そして「芝生が青く維持し続けられる人は稀」ということだ。

そしてもう1つ。自分の人生の中の〝特別な15分〟を本人は意外と気づかないことが多いということだ。

それは「スポットライト」というのはあくまで「他者の評価」であり、自己評価とは別の価値基準の話だからかもしれない。

若い時期はどうしても他者の評価が気になってしまう。その誤った基準で自分を測ることで自己嫌悪に陥ることも少なくない。
しかし人生の折り返し地点を過ぎ、自分が立っているこの道の先が薄っすら見えつつある今、まず最初にすべきことは「自分を測る基準」を取り戻すことだと痛感している。

「残りの人生をどう生きるか」「どういう生き方を選択することが、自分が一番納得できるか」

この課題に対する自分なりの解が出せていないなら、まず最初に「自分を測る基準」を取り戻すことから始めるべきだ。

自分の残りの人生の計画を明確にできないのは、心のどこかで「他人の評価」というモノサシが引っかかっているのだろう。

「お金を稼ぐ」ことも「出世する」ことも、本当に自分が望むことなのか、他人に羨ましがられたいからなのか。そのことを自問自答して突き詰めなければ、残りの人生を「自分らしく」生きることは難しい。

同じスポットライトでも、外から浴びるものでなく内から照らす光を求めよ。

それが大切なことだと今、強く感じている。
短時間なら誰でも注目を浴びることはできる。大事なのはその先だよーーもしかするとアンディ・ウォーホールが伝えたかったのはそんなことなのかもしれない。

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