安彦考真「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」6
私たちは果たして生きるために働いているのか、働くために生きているのか。そんな疑問がふと頭をよぎる。
日々の生活は知らず知らずのうちに働くことが中心となり、働くことで得るお金の量に感情を大きく左右されがちになる。
「ゼロ円Jリーガー」としてプロデビューした安彦考真選手だが、それ以前は同世代と比較しても破格の高給取りだった。
しかし、夢を実現するため、その挑戦に専念するため、高額な稼ぎをすべて捨て去り、仕事をしない=無給の立場に自らを置いた。
ただそれは「夢を実現するために」「挑戦に専念するために」ただ我慢を強いた訳ではなかったと安彦選手は告白する。
40歳を目前にした安彦選手が果たした人生最大の決定とは? そしてその真意とは?
安彦考真の「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」6
2020年4月28日
Q. 安彦考真選手が過去にした意思決定の中でもっとも評価できる決断とは?
20代会社員
A. 「39歳で仕事を辞め、40歳でJリーガーになる」という決断
安彦考真
「39歳で仕事を辞め、40歳でJリーガーになる」と決めたこと。
これが質問に対する答えだ。
この意思決定によって、自分自身についていた嘘をオープンにすることができた。そして本当の自分自身を取り戻すことができたからだ。
「どんな有能な詐欺師も自分を騙すことはできない」
僕は決して有能な詐欺師ではない。だからこそなおさら自分を騙し切ることはできなかった。
30代後半の僕はどこかでずっと満たされていなかった。
その時、僕は「住みたい街1位」に選ばれるオシャレな街の駅前、高級マンションの最上階角部屋に住んでいた。家賃は驚くほど高かった。
そして、そんなオシャレな街を根城にして、サッカー日本代表クラスはもちろん、さまざまな世界の著名人たちと日々楽しく交流していた。
それができたのも同世代と比べても圧倒的な金額を稼いたからだ。仕事は順調、そしてプライベートも華やかで、SNSに写真を上げればすぐに「いいね!」がたくさんついた。
そんな状況でも、その頃の僕はどこか満たされない気持ちでいた。
しかし、周囲はそんな僕の生活を見て「素晴らしい!」「凄い!」「羨ましい!」と口々に賛辞を贈ってくれた。
そんな僕に対して、次々と影響力の大きな人たちの方から声がかかってきたし、僕の生き方に憧れを抱いた人たちが自然と僕の周囲に集まってきた。
眩しい光を放つ人たちと毎日のようにワイワイ楽しく過ごしていた30代後半の自分。
けれど、僕の心の中では、そんな自分がどんどん許せなくなっていた。自身の立ち振る舞いに納得がいかないことが増えていた。
それでも、刺激的で多くの人に羨ましがられるような出来事が次々と目の前に現れる毎日に、自分の心の中に芽生えた違和感を見て見ぬふりをして過ごしていた。
どこか満たされない自分をグッと我慢して、何も考えずに刺激溢れる日常に溺れ続ければ、きっとそれなりにハッピーな人生が続くという予感はあった。
そんな甘い時間の中、39歳の誕生日を迎えた。一年後、40代に突入する年齢になった。
僕が小さい頃、40歳なんて確実にオッサンの領域の存在だった。
自分がその40代になるという不思議な感覚の中、「このまま小さな満足に浸ったままオッサンの領域に突入していいのか」という考えが急に頭の中を支配した。
もちろん40代というもの自体が悪いという意味ではない。あくまで自分が子どもの頃に見ていた「オッサン像」と今の自分とを比較して嫌な気持ちになったということだ。
惰性で生きて、空気を読むことを覚え、気がつけば愚痴三昧……。そんなダメなオッサン化した40代の自分を想像した時、心から寒気がした。
「今、自分を一番縛っているものは何か」
自分がなりたくなかったオッサン像に突き進んでいくその時の立ち位置。その場に自分を縛っているもの。それは紛れもなく「お金」だった。
みんなが憧れる街の抜群に夜景がキレイに見えるマンションの最上階に住むためのお金。
著名人たちと会合する際に訪れるやたら豪勢で煌びやかな会員制飲食店に使うお金。
過剰な梱包の中の1個でノーブランドの同じ商品が10個は買えるほど、やたら高額な高級ブランド品を身に纏うためのお金……。
いつの間にか、僕にとって「お金」という存在は、偽りのステイタスを必死で守るためのものになってしまっていた。
そして、そんなものに使うお金を稼ぐために、本心とは程遠い言動をとり、クライアントの顔色を伺っていた。
そんな自分がとことん嫌になった。
「お金を捨てたい」
ぶら下げられた人参に必死に食らいつく生き方ではなく、自分の歩く道が、僕の足跡がお金以上の価値になるような生き方がしたい。
しかし、そのためには今、僕が手にしている「お金」にまつわるすべてのものを捨てる必要があった。
そこからの決断は早かった。
そこからの僕は「人生で一番輝くは旅の途中だ」と考えた。「旅の途中こそ人生のすべてだ」と意識の大転換を行った。
バカ高い家賃のマンションはすぐに解約し、高額のフィーを支払ってくれていたたくさんの仕事をすべてその日で契約解消した。
高級マンションに見合うバカ高い家具や電化製品の一切を、後輩や慕ってくれていた仲間に譲り渡し、僕は小さなカバン1つで実家に戻った。
「人生の後悔を取り返しに行く」
すべてを捨てた後、この新しく生まれ変わる人生の目的地を「40歳でJリーガーになる」ことと決めた。
そして、そこまでの泥臭くのたうち回る僕の姿をカッコつけることなくありのまま可視化することにした。
これまで40年弱で積み重ねてきた自分への嘘のすべてを捨て去ることをポリシーに掲げ、僕はSNSやYouTubeでその過程をすべて隠すことなく明らかにした。
その無謀な大転換は、結果的に「自分ができる範囲のことで、他人がやらないことをやり切る」という自分なりのプロフェッショナル哲学を貫くことに繋がった。
そして、そんな最高にして最強に困難な意思決定を貫く旅は、今もなお真っ只中だ。
そんな僕のポケットの中には何も入っていないけれど、僕の心はワクワクでぎっしり満たされている。