「教育」を考えるJリーガー安彦考真が本を読んで感じたことを書き留める vol.1
苫野一徳『どのような教育が「よい」教育か』を読んで。
安彦考真
2020年3月
そもそも人は何を持って「よい」を定義するのか。それと同時にそもそも「教育」とは何か——このことを考えずに教育問題や育成などを語ることは難しいと考える。
僕は今、日本の教育や育成に関する課題の解決に取り組んでいる。そんな中で「よい教育」と銘打たれたこの本に興味を持ち、手に取った。
この本を読む中で、ふと数年前に南アフリカで出会ったフェリックスという友人のことを思い出した。
◇◇◇
僕は10年ほど前、ある仕事で南アフリカを訪問した。
当時の南アフリカは治安が悪い地区もあり、日本から仕事で行く場合、警護を雇うことが多かったが、その時、ボディーガードとして僕たちに同行していたのがフェリックスだった。
仕事も順調に進んでいた僕たちは、少しオフの時間ができたので、お土産を買いに行こうということになった。
南アフリカは金製品が有名ということもあり、日本から来た僕たち一同は連れ立ってショッピングセンターにある金製品を扱うお店に向かった。
オフということもあってリラックスした気持ちで僕たちは店に入った。しかしその瞬間、僕たちを見た店主がすっと立ち上がり、一緒に入店したフェリックスを指差して「外に出ろ」と言ったのだ。
僕は一瞬何が起こったの理解できず呆然とした。気がつけば何も言わず踵を返して店を出るフェリックスの背中が見えた。
僕は「何故だ!?」と店主に聞いたが、彼は僕の問いかけを無視して黙って椅子に座り直した。
微妙な空気の中、僕は店内にいることができずにフェリックスのそばに行った。僕の顔を見た彼は、苦笑しながら「いつものことだから」と呟いた。
後で知ったのだが、この地域では未だアパルトヘイトの名残があり、白人は黒人に対して差別的な行動を取ることがあるということだった。
南アフリカはかつてアパルトヘイトという極端な人種差別を前提とした人種隔離政策をとっていた。その非人道的な政策は1994年に廃止されたが、その時、フェリックスは15歳で、それまでは〝差別される側〟の人間だった。しかし差別的な法律が廃止されたからといって、彼や彼と同じ立場の者への差別意識はすぐには一掃されなかったのだ。
その夜、僕はフェリックスに思い切ってアパルトヘイトのことを聞いた。
アパルトヘイトについてどう思い、アパルトヘイトがなくなった今をどう感じているのか、と。
しかし、彼が語ってくれた内容は僕の想像を大きく超えたもので、あまりにも辛く苦しく、現実離れしたものだった。
「色々なことがあったからすべては伝えられないけど……。その中でも人として扱われず、今でも思い出したくない出来事が3つある」彼はそう言って話を始めた。
◇◇◇
1つ目は、白人から拷問を受けた時のこと。
それは、後に大統領となり、アパルトヘイト廃止を果たしたネルソン・マンデラが当時勢力を強めつつあったことで、〝差別する側〟の人間の間で「黒人たちが何かを起こすのではないか」という不安感が広がっていた。そのため、白人警官たちは片っ端から黒人を無差別に捕まえ拷問をしたそうだ。
拷問する前に彼らは必ずこう言ったそうだ——「ネルソン・マンデラを知っているか?」
◇◇◇
2つ目は、仲間内でサッカーをしていた時、突然、白人警官が護送車で現れ、「全員サッカーをやめて一列になって護送車に乗れ」と命令してきた時のこと。
フェリックスの前に並んでいた6人ほどの仲間が急に列から飛び出し、逃げ出したという。
その瞬間、白人警官が発砲し、頭部に弾を受けた友人は即死だったそうだ。それはフェリックスの目の前で起きた出来事だった。
◇◇◇
そして最後の3つ目は、ある日友人4人と一緒に黒人居住区を歩いていたところ、警官が現れパトカーに乗せられた時。
数十分走ったところで、フェリックスを含む友人は大きな皮のそばで車から降ろされた。そこで白人警官から何百回も聞かされたあの質問を受けたという——「ネルソン・マンデラを知ってるか」
もちろん、フェリックスたちは何も知らないし、なんの情報も持っているはずがなかった。それで友人の1人が「知らない」と答えると、警官は「そうか」といい、その友人を目の前の川の中へ投げ込んだ。その川には巨大なワニが何匹もいて、川に落ちた友人の身体をあっという間に引き裂きながら川の底へと引き摺り込んでいった。
その後、もう1人、もう1人、と同じように質問が繰り返され、友人たちは次々と川へ投げ込まれワニの餌食になっていったという。
残ったのはフェリックスともう1人の友人。この時、フェリックスは死を覚悟したそうだ。「もうこんなことになるのは嫌だ。人として扱われないなら死んだほうがマシだ」とさえ思ったと。
しかし白人警官は彼らを川に落とすことなく、車に乗せて再び町へとフェリックスらを帰したという。
それは、白人警官はものすごく恐ろしいということを黒人居住区内に広めさせ、ネルソン・マンデラのことを知っていたら絶対に言ったほうがいいという恐怖を与えるため。
1人だけではなく2人を解放したのは、それが嘘ではないということがより明確になるためだった。
◇◇◇
話し終えたフェリックスは涙を流していた。その涙を見た僕は思わず「苦しいことを思い出させてしまってごめん」と言った。
するとフェリックスは「むしろ感謝したい」と言ったのだ。
「今まで誰も聞いてくれなかったし、みんなから腫れ物に触る感じで僕らは見られてた。だからストレートに聞いてくれたこと、それに対してすべてを話せたことはものすごく嬉しかったんだ」と。
彼の言葉を聞いて、僕も自然と涙が流れた。
最後にフェリックスに聞いてみた。
「今、日本は南アフリカで開催されるワールドカップ前(当時は2009年)ということもあって、南アフリカのことが良くニュースになる。そこで流れる内容は犯罪に気をつけろということばかり。これだけ多くの犯罪がある今の南アフリカだけど、当時と比べたらどうなのか教えてほしい」と。
フェリックスはハッキリこう言った。「犯罪がどれだけあっても今のほうがいい。あの頃に戻るなんて絶対にありえない」と。
その当時、僕は「そうだよな」としか思えなかった。けれど、今は少しだけ違う。この本を読んで改めて「教育とは何か」をより深く考えることができた。
確かに白人警官がしたことは許されることではないが、彼らにとってはそれが正義であり、そういう教育がそこにはあったということだ。
教育とは「その国の未来(社会)と個人がこうなったらいいな」という未来図を実現するための人材育成の最重要な施策の1つだ。だからこそ僕たちは、教育を考える前提として「こうなるべきという未来」をはっきりと思い描なければいけない。
今だけを見て子どもたちに何かを教えこもうとすることは、「誰かの正義」の影響を受けた偏った思想になる危険性がある。そして、その教育は予期しない対立構造を作ることになってしまう可能性がある。だからこそ、自分の経験を安直に一般化してはいけない。
◇◇◇
人は経験したことを感情的に捉えてしまう傾向が強い。この南アフリカでの僕の体験も同じだ。
フェリックスから話を聞いた直後は、「アパルトヘイトのような制度は絶対に許してはいけない」「フェリックスの気持ちを思えば、南アフリカで今も起こる犯罪もアパルトヘイトが作ったものだ」と考えてしまう部分があった。しかしその考え方で「教育」について考えることは、感情に左右される不確かな土台を築く危険性を孕み、また同時に個人のイメージが「事実である」と盲目的に捉えてしまう傾向を潜ませることに繋がりかねない。
だからこそ、「良い」は何かと問い直す必要がある。
「教育とは何か?」「良いとは何か?」——そこには誰もが「確かにそうだよね」と納得できる本質が必要になる。
◇◇◇
日本の未来に対して考えつくネガティブなイメージを回避するための新たな社会システムが必要であり、日本の未来をポジティブにする人材を生み出せる教育が必要だと感じている。
南アフリカはアパルトヘイトという悪策を廃止することでシステムを変えることができたが、教育で人を育てるところで苦戦していると言える。
僕ができることは、教育を「先生と生徒の関係」のような既存の形で考えるのではなく、そもそもの教育の意味をちゃんと理解し、今ある教育の中からではなく外側からアプローチしていくことだ。
教育を考えることは僕のフィールドワークだ。先ずは僕自身がその実践者となって挑戦していこうと思う。
『どのような教育が「よい」教育か』
苫野一徳
2011年8月発行/講談社
<内容紹介>
〈よい〉教育とは何か。根本から徹底的に考える。「ゆとり」か「つめこみ」か、「叱る」のか「ほめる」のか──教育の様々な理念の対立はなぜ起きるのか。教育問題を哲学問題として捉えなおし現代教育の行き詰まりを根本から解消する画期的著作! (講談社選書メチエ)
〈よい〉教育とは何か 根本から徹底的に考える
「ゆとり」か「つめこみ」か 「叱る」のか「ほめる」のか──
教育の様々な理念の対立はなぜ起きるのか。教育問題を哲学問題として捉えなおし現代教育の行き詰まりを根本から解消する画期的著作!
<著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)>
苫野/一徳
1980年生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。早稲田大学教育・総合科学学術院助手などを経て、現在日本学術振興会特別研究員(PD)。専攻は教育学・哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)