「民度が違う」と表現した麻生大臣の言葉に思うこと

2020.6.8

安彦考真

安彦考真「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」11

麻生副総理 死亡率低さを指摘「国民の民度のレベルが違う」(NHK)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200604/k10012458671000.html

 

 

「民度が違う」と表現した麻生大臣の言葉に思うこと。

安彦考真

2020年6月8日

 

6月4日の参議院の財政金融委員会の中で、麻生副総理兼財務大臣は日本での新型コロナウイルス感染症による死者数が、ほかの先進国と比べて少ないと説明し、その理由を「国民の民度のレベルが違う」と言った。

この発言後、この麻生副総理兼財務大臣の「民度」発言は一斉にニュースに取り上げられ、ネットなどを通じて一気に拡散した。

 

僕が知っている限り、確かに他の国々と比べても、現時点で日本はコロナの感染者数も死亡者数も明らかに少ない部類に入っている。

ただ、それはより詳しい数値を見てみれば、あくまで感染者数や死亡者数を多く出している欧米各国と比べて少ないだけで、対策をしっかりとってすでに感染者ゼロを達成しているような他のアジア諸国と比べると圧倒的に少ないというわけではない。

 

もちろん、国土面積や人口、文化、習慣などによっても感染の広がり方が違うという面はあるだろう。

その上で、麻生さんの言う「民度」という言葉から想起される「国民意識」が感染拡大に対して少なからず影響していることも、僕は否定しない。

 

麻生さんの言う「民度」=国民意識について。

僕は今、日本人の国民意識とは何かを改めて考える必要があるのではないかと感じている。

 

「憲法上の制約があったからこれ(強制力のない要請)が最大限だったというように理解して、それでも効果があったというのがミソですかね」

(麻生副総理兼財務大臣)

 

この言葉からもわかるように、強制力を持たずしてここまで抑え込めることができた国民意識は素晴らしいということだ。

これが国家による強制力を持って行われていれば、麻生さんの説明の中で「民度」という言葉は使われていなかったと推測できる。

その上で、僕が思う「民度」=国民意識について、今回の自粛期間と照らし合わせながら考えて見たいと思う。

(いまできること)サッカー・安彦考真 年俸120円、夢へ駆ける(朝日新聞)

https://www.asahi.com/articles/DA3S14494859.html

 

 

僕らJリーガーも当たり前だが国民の一員として、この緊急事態宣言に対する自粛要請をしっかりと受け、約2ヶ月間に及ぶ自粛を行ったが、この時に我々がとった行動こそが、麻生さんの言う「国民意識」の根本なのではないかと僕は改めて感じている。

僕らの「自粛」最優先という行動の根底には『誰かの顔色を伺いながら』『判断は「お上」がする』という考えがあった。

国や行政が「こうだ」というから、僕らJリーガーもそれに従います、となった。「お上」からの判断がなければ、きっと僕たちサッカー選手はみんな毎日練習を続けていたはずだ。

 

そこにあるのは「同調圧力」だ。

今回のコロナウイルス感染が日本国内で(今のところ)大きな拡大に繋がらなかった理由として、この「同調圧力」が強く影響したと僕は考えている。

 

多くの人の印象では「同調圧力」と聞くと悪いようにとることが多いと思うけれど、今回に限っては良い結果を生み出した。

でも、それはお隣さんや知り合いの目を気にして「万が一自分が感染した時にどう思われるか」を過剰に意識した自粛だったように思える。

それは自らが何かの判断基準を持ってアクションした結果ではなく、周りを見て、最終的に何かあった時に何も言われないことを想定して、自粛をする。

決して、感染しない、感染させないをメインの判断基準においたわけではなかったように思える。

 

 

「民度が違う」発言で麻生氏がさらした決定的な事実誤認とは(毎日新聞)

https://mainichi.jp/articles/20200606/k00/00m/010/002000c

 

 

僕らJリーガーもJリーグからの要請を元に、各クラブが自粛を判断し選手にそれが通達された。

そこにはいくつかのルールはあるものの、じつは禁止事項は1つもなかった。

「何をするか」「何をしないのか」については各選手一人ひとりに委ねられていた。

そして、僕たち選手は結果的にほぼ全員が想定される「自粛」の中でもより厳しいルールを自分たちに課し、過剰かと思われるほど極端な感染予防を徹底した。

 

それはなぜかと言えば、一番は「早く状況が好転して、早くリーグが始まって欲しい」「サッカーがしたい」という思いであったことは間違いない。

選手が一丸となり、各自が生活の中で感染予防を徹底することが、少しでも早い状況良化につながると信じて、僕たちは「これくらいならいいかな」と迷うレベルは一切自粛するくらいの徹底した自己管理をそれぞれが自主的に行ってきた。

 

それでも、Jリーガーの中から感染者が出てしまった。

それはその選手が甘かったのでは決してないと僕は信じている。

 

僕たちJリーガーはみんなサッカーが大好きで、僕たちのプレーを応援してくれているサポーターの存在が大切だと全員が心から思っている。

そして、その気持ちに応えるべく各自が徹底した自己管理を行い、過剰ともいえる感染予防を長期にわたって続けてきた。

それでも感染してしまう。

それが今回のコロナの怖いところだ。

 

そして、一度コロナに感染してしまうと、それまでの過剰ともいえる感染予防への努力、我慢、行動のセーブがすべて無になるだけでなく、全否定されてしまうというところに、このコロナの本当の怖さがある。

僕はJリーガーやプロ野球選手たちの感染が発表されるたびに胸が痛くなった。

彼らは誰よりも気をつけながら生活してきたはずだから。誰よりもサッカーや野球が大好きで、それができない辛さを誰よりも体験しているはずだから。

だから、感染者を責める風潮は僕は決して見逃すことはできない。

名古屋・金崎夢生がコロナ感染 先月29日に発熱、3日からチーム活動休止(サンスポ)

https://www.sanspo.com/soccer/news/20200603/jle20060305030001-n1.html

 

麻生大臣の言う「民度」をあえて僕流に辞典に掲載するなら、その解説文は「同調圧力が強く、他人を監視し合う国民意識」とでも書くだろう。

この「民度」=「同調圧力」は、今回のコロナウイルスの感染拡大に関しては結果的に吉と出たが、今後、それがすべての事象に対して適合するわけではないということは、僕は声を大にして言いたい。

 

感染者が悪者扱いされ、非国民のような厳しい批判にさらされていること。それが僕が言う「同調圧力の負の面」の一端だ。

この「同調圧力」はいつでも負の財産をもたらすことにもなることを改めて認識したいと思う。

 

僕らは、コロナ前にはもう戻らない。

これからはコロナ後をどう生きるかが大事になってくるが、今後も今までのように「お上」の言うことを待っていては、今度は世界から置いていかれることになる。

本当の意味で、「民度が違う」と言える国にするには、一人ひとりの意識を大きく変えていく必要がある。

それは、教育でしか変えていけないと僕は強く感じている。

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