偉大なアーティストがあえて自らの死までの過程を公開した意味を考える

2026.1.12

livest!編集部

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【映画感想】「Ryuichi Sakamoto : Diaries」

 

 

ニューヨークの自宅のテラスに、グランドピアノを設置する場面から映像は始まる。

風雨や直射日光に晒され続けた木製ピアノは、一体どのように変化していくのか?

そんな実験的な取り組みについて笑顔で説明する、元気いっぱいの坂本龍一さんの姿がそこにはあった。

「物語」はこの少し後、検査の結果、腫瘍が見つかることを知らせる医師の言葉で動き始める。

 

完治は難しい。

抗がん剤治療で余命を延ばすか、苦しみを避け、残りの時間を穏やかに過ごすか。

ステージ4を告知された患者にとって、そしてその家族にとって、この「正解のない」問いをどう考えるか。

天才的なアーティストであっても、市井の人であっても、お金があっても無くても、それはほとんど違いのない究極の選択となる。

坂本龍一さんは何度かの逡巡ののち、できる限り長く生きる可能性に賭けることを選んだ。

それは、少しでも長く音楽活動を続けたい、1つでも多くの創作を世に遺したいという思いからだった。

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自分が痩せ細り、弱くなり、衰えていく姿は、普通なら親しい人にさえ見せたくないものだ。

しかし、坂本龍一さんは自らカメラを回し、インタビューに答え、死までの道程をありのまま記録していく。

年月の経過とともに、時折、ニューヨークの自宅のテラスに野晒しにされたグランドピアノが映し出される。

風雨や直射日光によって、木板は傷み、ピカピカだった表面はどんどん潤いを失くし乾き、反り返っていく。

それはまるで、ひとりの人間の死に至るまでの過程を暗喩しているかのようだった。

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映像は最後、震災以来、自身が手塩にかけて育ててきた東北ユースオーケストラの演奏会を映し出す。

病室でベッドに横になりながら、坂本龍一さんはスマホの画面越しにその様子を凝視する。

たくさんのものを遺したアーティストだった。

数多の素晴らしい音楽作品や映像作品、著作はもちろん、次世代の育成など、日本を超えて世回の音楽シーンに多大なる財産を遺してくれた稀代のアーティストだった。

そんな坂本龍一さんが最後に遺したものは、あえて自分の死にゆく姿をありのままの映像だった。

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映画を観終わったあと、「坂本龍一さんはなぜ、自身の映像化し、映画化しようとしたのだろう?」

そこには、死に直面してもなお、いや、その極限的な状況だからこそ内から生まれる新たな創作に取り組む姿勢があった。

そして、「残り僅かとなった時間をどう生きるべきか」ということを、私たちに示してくれているようにも感じた。

坂本龍一さんは、病魔に襲われて、身体がかつてのように自由に使えなくなっても、それでも以前と変わらない姿勢で音楽と向き合い、自身から新たな作品や演奏を生み出すことにニュートラルに、ナチュラルに取り組んでいた。

きっとこの映画を観る人によって、受ける思いは違っているだろう。

けれど、「正解のない」生き方を求められ続ける私たちにとって、貴重なメッセージを受け取るという意味では多くの人にとって価値ある映画だと断言できる。

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