残り時間で、私は「落下の王国」と出会えるだろうか?

2026.1.12

livest!編集部

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 【映画感想】『落下の王国』

 

ずっと待ち望んでいた映画だったので、
4Kデジタルリマスターが上映されてすぐ、ワクワクしながら映画館に足を運んだ。

映画「落下の王国」を観終わった後の感情は、
今まで見たどの映画とも違う、独特のものだった。

そのヒントが、
今回の約20年ぶりの再上映のために再制作され、
発売されたパンフレットの中にあった。

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監督/製作/脚本:ターセム

パンフレット内インタビュー記事

この映画を作った経験から
以後の作品に活かしたことは、
「映画に全財産を注ぎ込むな」
ということです(笑)。

でもおそらく私はまた同じ過ちを犯すでしょう(笑)。

『落下の王国』は
私が〝作りたかった映画〟という域を超えています。
作らなければならなかったのです。

これを作らずには息もできませんでしたし、
私は生きていけませんでした。

「背中に取り憑いた悪魔」のようなもので、
振り払わなければならなかったんです。

普通、映画を作る時は
〝夢中になる(obsessed)〟
と言いますが、
この映画では私は
〝取り憑かれていた(possessed)〟
のです。

そしてもう一度、
自分に同じようなことが起こることを願っているのです。

自分のこれまでの人生で、
その時の全財産をBETしてまで挑戦したことがあっただろうか?
(いや、一度もない)

自分のこれまでの人生で、
「取り憑かれていた」と表現できるような時間はあっただろうか?
(もしかすると、何度かはあったかもしれない)

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「落下の王国」に登場する5歳の少女アレクサンドリアが「取り憑かれていた」ように、
スタントマンのロイが語る即興の御伽話に夢中になったように、
自分にも幼い頃、若い時期にしてしまった衝動的な行動のいくつかは、
単純に、純粋に「取り憑かれていた」と言ってもいいような気がする。

それらは何年も、何十年経っても、自分の中で色彩豊かな、五感をくすぐる甘美で非現実的で、切ない記憶だ。

まるで「落下の王国」の映像のような。

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あなたの残りの人生で「取り憑かれていた」と後から振り返るような時間と、もう一度巡り合うことはあると思うか?

「落下の王国」は、自分にそう問いかけているように思えて仕方がない。

大ケガをし、恋人を奪われ、自暴自棄となったロイ、
そして家を焼かれ、親を殺され、5歳にして重労働を手伝わなければいけないアレクサンドリア。

失ったものが大き過ぎた2人と比べて、
今の自分は、勝手に「守るべきもの」だと思い込んでいるものに囲まれ、
窒息しそうになりながら生きている。

そして、それら全部をBETする勇気はなかった。

でも、それらは「取り憑かれていた」と思えるような時間を捨ててまで、
固執するほどの本当に価値のあるものばかりなのか?

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これまで「落下」というものに対して、
以上に警戒心と恐怖心を持ってきた。
それは年齢を重ねるにつれて、どんどん増していった。

でも、この映画を見ることで、
「落下」というものは単なる現象であり、
経過であり、決して結果とイコールではない、
ということを教えてもらったような気がする。

もちろん、今から全てをフルBETするということでなく、
必死に抱えている「守るべき」と勝手に思い込んでいるものたちを、
手放してでもトライしたいと思うものとの出会いに、
しっかりと耳を傾けて生きていこうと思った。

その判断が「落下」につながるかどうかは、
そのあとの自分次第だと信じて。

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