メガネを新調することで見えた大切な真理

2019.5.17

livest!編集長

「安さ」最重視することで大切なことを失っていることに気づいた

人生を哲学的に見つめ、日々考えたことや感じたこと、学び、体験についての思いをまとめ、書き留める「人生哲学研究家」のブログ。

編集長ブログ
2019年5月17日

メガネを新調することで見えた大切な真理

メガネを新調した。
これまでの人生で4個目となったメガネは、単に眼を見えやすくしてくれただけでなく、自身の視野も広げてくれたような気がする。

普段の生活には裸眼でもまったく支障がない視力のため、これまでメガネは主にパソコン使用時の目の疲れを軽減するためのもの。
このメガネをつけて人前に出ることも少ないため、正直そこまでこだわりを持たず値頃感で買っていた。
しかし毎回買ってしばらく使うと「なんか違う」という違和感が続き、また買い直すということを繰り返してきていた。

これまではチェーン展開している安価でメガネが作れることがウリのメガネ店で買っていた。
目の状態をはかる機器はちゃんとしたものでも、計測するスタッフは毎回たまたま手が空いている人となり、毎回イチから説明してイチから計測してメガネのレンズを作ってもらっていた。

毎回測定値にブレがあると感じていたが「自分のその時の目の状態が毎回違うからかな」と勝手に思い込み、「とりあえず使っているうちに慣れるだろう」的な安易な気持ちでメガネレンズを作ってもらっていた。だからしばらく使うと違和感が生まれ、結局作り直す……の繰り返しとなってしまっていた。

もう40代。眼の疲れは若い頃の比でなく、仕事の効率に大きく関わる問題という認識が強くなった。

だからこそ今回は、メガネについていろいろ調べてから作ることにした。
調べるうちに、欧米ではメガネ(コンタクト)を作る際は国家資格を持つ専門の人が担うことが当然となっていることを知る。

その国家資格は国によって違うが、ドイツではその国家資格を取得するまでに9年近くもかかる「ドイツ国家公認眼鏡マイスター」と言う資格があるという。
またアメリカには日本にはない「眼鏡学」という専門分野も確立されていて、メガネに対して医学的な面に重点が置かれているという。「オプトメトリスト」という資格があるが、有資格者は「ドクター」と呼ばれるとのこと。

ひるがえって日本には国が認めた眼鏡士資格は存在しない。
2001年に公益社団法人「日本眼鏡技術者協会」が認定・教育する「認定眼鏡士」という資格がスタートしたばかりで、国家資格にしようという議論が出る雰囲気さえないらしい。

考えてみれば、人間は外的情報のほとんどは眼から得ている。そして周囲を見渡せばメガネをかけている日本人は非常に多い。
にも関わらず、自分を含めてメガネを作る際はアルバイトスタッフのような経験の浅い人に一任し、気軽に安易な気持ちでメガネを作り、そのメガネを愛用している。

これは改めて冷静に考えてみれば、非常に恐ろしいことだ。

出来るだけ安く買えることが消費者のためと考え、私たちの住む社会ではさまざまな分野で価格破壊が起こり続けている。そして私たち消費者もその「安さ最優先」の流れをすすんで享受している。

メガネというほぼ起きている間ずっと使い続ける最重要な生活補助機器にも関わらず、作る際の時間と費用をあまりに軽視しすぎていることを、自身がちゃんとしたメガネを作ろうとしたことで改めて気付かされた。

今回作った(買った)メガネは今までのコスパ優先のメガネの10倍近い出費を伴った。
しかしそのぶん得たものも多い。

何時間使っても眼が疲れない自分の今の目に最適のメガネ。そしてそのメガネを使うことで、より効率の良い作業時間と成果。そして何よりメガネを作る過程で生まれた疑問を放っておかず1つ1つ調べて解決していったことで得た、自分にとって本当に必要なモノを手にするということの真理と重要性の再認識。

不動産会社による不正や食品偽装など、今の日本ではさまざまなジャンルで問題が産出している。
それらは出来る限り値段を落とすため(利益を残すため)、本来ならかかる費用をこっそりと省こうとする事業者側の倫理的問題という側面と、物事の本質を自分で考えずに事業者に一任してしまっている消費者の当事者意識の欠如という問題の両面があると言える。

その多くの根本には、私たち消費者が「出来るだけ安く済ませたい」という値段最優先の選択をしている心理に端を発するように感じる。

値段の高い安いを重視することなくそのものの本質をしっかり捉える意識と、そのものの本質をしっかり捉えられる眼を持つこと。
真剣にメガネを作ってみて、令和の時代に生きる私たちに欠けていて、もっとも必要な意識の1つは間違いなくこのことだと改めて気づかされた。

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