安彦考真「20代にやっておくべき」3ヶ条

2020.4.15

安彦考真

安彦考真「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」1

40歳にして、手にしていた安定を捨て去り、夢に向かって挑戦した安彦考真さん。

その幼少の頃からの夢は現実となり、憧れのJリーガーとなった安彦選手は、今年3年目のシーズンを迎えている。

その無謀と言われた挑戦に臨み、見事に夢を叶えた安彦選手の言動に、多くの人は一歩を踏み出す大切さを学んだ。

今回、そんな安彦選手が、夢を持ち続ける20代に向けたリアルアンサーを発信する企画をスタート。

安彦選手のSNSフォロワーから質問を募り、その真剣な質問に熱く真摯に答える企画の第1弾。

 

安彦考真の「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」

vol.1

 

Q.安彦考真選手が自分の20代を振り返ってみて、これは「20代のうちにやっておくべき」だと考えることはなんですか?

20代社会人

 

A.(安彦考真)

僕の中で「20代にやっておくべき」だと考えるものは3つあります。

ですが、その3つを書く前に、先ずは「20代」とはどんな年齢なのかを僕なりに定義してみます。

高校を卒業して、大学に通っている人、専門学校で学ぶ人、働いている人、旅をしている人、夢を追っている人……などなど、まだまだ自分が何者なのかわからない状態で、ほとんどの人は20歳=成人という人生の節目の年齢を迎えます。

そして、大学を卒業する頃には、同学年のほとんどが社会人となり、「20代」という時期が始まりますが、ほとんどの人は、自分自身ではまだ「自分が何者か」という定義ができないまま年齢を重ねていきます。

「成人」という言葉の定義は社会的に見てもみんなの中で大きな差異はないと思いますが、「20代」となるとまさに人それぞれであり、一言で「20代とはこういうもの」とは言い切れない状態だと思います。

そういう意味で、僕が思う「20代」とは「自分で自分が何者かわかからない年代」と位置づけています。その定義の上で「20代に何をすべきか」という問に答えたいと思います。

1.「目の前の課題を120%で取り組む習慣をつける」こと

それは学生であろうは社会人であろうが同じです。

目の前の課題は自分の課題のようで、じつは社会の課題でもあるのです。そこから目を背けることなく、徹底的に向き合い、やり切ることを勧めます。

 

2.「自分の好きなことを没頭する」こと

今目の前の課題だけではなく、寝る間も惜しんでハマりにハマってしまう「好き」を追求できるかどうかです。今すぐそれが仕事に直結するかどうかという短絡的な考え方ではなく、とにかく好きだからハマるという狂うぐらいの没頭できるもの、没頭している状態が必要です。

もし「没頭するほど好きなことが見つからない」という人は、無駄と思うことでもフットワーク軽く動くことから始めましょう。キッカケはどこにあるかわからないので、頭で考えるだけ立ち止まっているのではなく、とにかく動いてみることが大事だと思います。

 

3.「自分のことを知っている人がいない場所へ行く」こと。

しかもそれは、1日や2日ではなく、できるだけ自分の習慣化される日数分いることを勧めます。それは海外でもいいし、日本でもいい。サッカーをずっとしていた人なら、いきなり登山サークルに入るのでもいい。

自分はこういう人間だと決めるにはまだ何者かわからない20代です。その何者かをわかるためには、ある種の「自覚を捨てる」ことが必要です。

「自覚している」と思っていることでも、じつはさせられてることが多いのが20代。

「学生とはこういうものだ」とか「〇〇高校の生徒とはこういうものだ」とか「サッカー選手はこういうものだ」とか。知らず知らずのうちに、僕らは自分地震でさえ「自分が何者か」わからないのに、社会からは一方的に「こういうものだ」と決めつけられています。

その状態を脱し、自分を客観視するためには、今いる場所やコミュニティから抜け出さないと見えてこない。だから「自分のことを知っている人がいない場所へ行く」ことが必要だと思います。

 

ただし、これは家庭を持っていたり、それなりのポジションについていると動き辛くなってしまいます。

だから、自分が今までとは別の習慣を身につけるようとすれば、果たしてどのくらいの期間が必要なのかということをあらかじめ考えておく必要があります。

だからこそ、最初に挙げた「目の前課題を徹底的にやり切る」ことがリトマス試験紙になるのです。

ただ、もしこれが「〇〇になりたいのですが、そのために20代にやるべきことはありますか?」という質問なら、問答無用に「その〇〇に没頭しろ!」としか言えないですがw

 

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