壮大な「使命感」が生き残る最大の武器となる

2020.4.20

安彦考真

安彦考真「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」3

安彦考真の「人生の先輩から20代に向けてのリアルアンサー」vol.3

2020年4月20日

無謀と言われた挑戦に臨み、見事に夢を叶えた安彦選手の言動に、多くの人は一歩を踏み出す大切さを学んだ。今回、そんな安彦選手が、夢を持ち続ける20代に向けたリアルアンサーを発信する企画の第3弾。

今回は安彦選手と同じJリーガーという肩書きを持つプロサッカー選手からの質問に人生の先輩として安彦選手が答えてくれた。

Q.これからJリーガーという職業はどうなっていくでしょうか?

またどういった選手が生き残っていくと思いますか?

20代プロサッカー選手

A.安彦考真

壮大な「使命感」が生き残る最大の武器となる

この質問に対する解を考えるために、先ずは「Jリーガー」という言葉や職業としての定義を明らかにすることから始めなければいけないだろう。

J1、J2、J3、どのカテゴリーでも所属するサッカー選手はすべて「Jリーガー」であるということに反論はないはずだ。

しかし、そんな「Jリーガー」という同じ肩書きを持つ多くのサッカー選手たちを社会的観点や経済的観点で捉え直した時、選手によって大きな違いが出てくる。

 

「Jリーガー」という肩書きは「Jリーグ」というプロサッカーリーグに所属している選手のことを指すが、それはあくまで職業の肩書きの名称であり、個々のことを指してはいない。

つまり、私たちが普段の会話などで使っている「Jリーガー」という言葉には「顔がない」。そこには選手個々は無個性の組織群の一員としてしか存在せず、「Jリーガー」というのは単なるカテゴリー分けのラベリングの名前でしかない。

しかし「Jリーガー」という肩書きだけで見ればJ1もJ3も同じに見えても、個々には大きな差がある。それぞれの選手たちが持つ社会的影響力などを考慮して見直すと話は全然変わってくる。それは選手が持つJリーガーとしての「自覚」とは別の話だ。

僕たちプロサッカー選手はまずこのことを改めてはっきりさせておく必要がある。

わかりやすくするために例を出してみると、三浦知良選手や本田圭佑選手や中田英寿さんは「三浦知良」であり「本田圭佑」であり「中田英寿」そのものであり、Jリーガーなどの所属団体名はあくまで副次的な存在だ。

彼らには「顔がある」と言える。しかし、現在Jリーグに所属する僕を含めた多くの選手たちは、「Jリーガー」という肩書きを失った瞬間「顔のない」存在に陥る可能性を秘めている。

 

質問の「生き残る選手」ということで言えば、

「Jリーガー」という肩書きよりも「顔」の方が認知されている選手

そう僕は考えている。

 

「枠を突き抜ける」という意味で考えると、例えば日本代表に選出される「日本代表」の肩書の有無だけでは大きな差異にはならない。

日本代表に選出された上で、重要な国際大会の公式戦に出場し、日本をピンチから救うスーパーな活躍をする。そんな選手がその枠を超えるような選手だと考えている。

少し前の国際親善試合に日本代表として選出された選手の名前は余程のマニアかメディアなどが仕事としてしか覚えていないだろうが、日本のピンチを救うような活躍をした選手のことは、単なる日本代表の一員としてでなく1人の選手として多くの人の脳裏に長く存在し続けるだろう。

「Jリーガー」は単なる職業別の肩書きでしかない。

僕たちサッカー選手たちは改めて「自分はJリーガーである」ということ対して過剰に自信を持つことを諫め、「枠を突き抜ける」ような真のプロフェッショナルなサッカー選手にまで登りつめる努力を続ける必要がある。

なぜなら、ほとんどの選手は現役引退後、Jリーガーの肩書きを失うだけでなく「顔」をも失ってしまうからだ。

 

少なくとも、僕は日々その覚悟を強く胸に刻み、目の前の練習や試合はもちろん、SNSでの発信やさまざまな社会貢献活動などに取り組んでいる自負はある。

いつか「枠を突き抜ける」存在であると社会が評価していくれることを信じながら。

 

そういう意味で、僕自身Jリーガーになってから改めて感じたことは、サッカーに関することはもちろんのことだが、サッカー以外の面がとても重要だということだ。

例えば、例に挙げたカズさんやヒデさん、本田圭佑選手たちは、オンザピッチ以外でのパフォーマンス、例えば発言するコメントや行動もとても印象的なことが多い。

彼らはプレー面以外でも社会に大きな影響を与えられることを体現するだけでなく、その結果、彼ら自身の存在がより社会に大きな影響を与えるものとして認知される相乗効果を生んでいると思える。

彼らが一人の人間として明確な「使命感」を持ち、それをサッカーを通して表現していた。

そこから考えた「生き残る選手」になれるかどうかの目安は、

「サッカーの能力」×「使命感」×「経済力」

この掛け算の積が1つの目安になるのではないかと考えている。

 

しかし、この計算式の積で「突き抜ける」ためには相当の努力とそもそもの能力、そして運が必要となる。そこそこの選手ではとても難しいはずだ。

だから僕が考えているのは、「サッカーの能力」「使命感」「経済力」の3つの項目のすべてに高い数値を出すことをめざすのではなく、

まずこの中のどれか1つに注力することが第一歩ではないかということだ。

 

そして、最初に取り組むのは、他者との競争は関係なく、自分自身と向き合えるものが適している。

そうなると、自ずと答えは1つ。

「使命感」こそ、次の時代に必要な要素ではないかと、僕は考えている。

僕は今、その使命感を表現する場として、ピッチ内だけでなく、ピッチ外のフィールドワークに時間と労力を注入し続けようとしている。そして、サッカーではない、別の場所から社会に注目される選手になることをめざしている。

 

あなたは、なんのためにサッカー選手になったのですか?

あなたは、なんのためにサッカー選手を続けているのですか?

この問に答えられる人しか生き残ることはできない時代だ。

気づいた選手だけが、まずは「生き残る選手」になる資格を手にしていると言える。

 

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