批判を受けたエッフェル塔は130年後、世界中から愛される世界遺産となった
人生を哲学的に見つめ、日々考えたことや感じたこと、学び、体験についての思いをまとめ、書き留める「人生哲学研究家」のブログ。
編集長ブログ
2019年3月31日
「未来」は挑戦した者の目にしか映らない
今から130年前の今日、1889年3月31日にフランスのエッフェル塔が誕生した。
その日、当時のフランス首相だったピエール・ティラールら多数の関係者を招いて竣工式が盛大に行われた。
しかし当時の市民からの評判はかなり悪かったらしい。当時の建築物の常識からかけ離れた外見が「奇抜」と評され、建設中には反対派の芸術家たちの連名による建設中止の陳情書も出されたという。
当時の合言葉は「エッフェル塔が嫌いな人はエッフェル塔に行け」だった。
エッフェル塔反対派の急先鋒だった文学者ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔1階にあったレストランに足繁く通ったらしい。反対派にも関わらず、毎日のように塔に通ったその理由は「ここだけが大嫌いなエッフェル塔が私の視界に入らないで済むパリで唯一の場所だから」というものだった。
時は経ち130年後の今。エッフェル塔はパリならず世界の代表的な観光スポットとして世界中の観光客から絶大な人気を誇る。
塔内の有料入場者の1日平均は2万5000人強。入場するのに長時間並ぶのは当たり前の混雑スポットとなったエッフェル塔。2017年秋には通算来場者数が3億人を突破。現在、エッフェル塔は「世界でもっとも多くの人が訪れる有料建造物」として認識されている。
エッフェル塔の設計および建設指揮を担ったのはギュスターヴ・エッフェル。塔の名称は彼の名前に由来する。
1889年に開催が決定したパリ万国博覧会の目玉として計画された高さ300m(当時)の鉄塔は、1887年から2年の歳月をかけて完成した。その間、著名人や尊敬を集める文化人、芸術家たちからその外観の奇抜さに対して大規模な反対運動を受け続けた。
しかしパリ万博が開催するとエッフェル塔には多くの観光客が押し寄せた。その後1991年にこの塔を含むセーヌ川周辺が世界遺産として登録されるなど、1889年の完成から2006年までに2億人以上の観光客がエッフェル塔を訪れた。
エッフェル塔が100年以上も現存した理由。それは斬新過ぎると言われた外観を実現するため、当時の最新の構造技術を駆使した設計だったこと。また鉄を使った建築物としては当時の最難度の建築技術を用いたこと。さまざまな「未知の挑戦」の結集が130年という時を超えて世界中の人から愛される建築物として現存している大きな要因となっていると言える。
「奇抜」ということは当時は誰も思いつかなかったデザインだったということ。反対の声が大きければ大きいだけ、反対派の芸術家たちの創造力を超越したデザイン性とその外観を実現する設計士としての能力の高さを証明する裏返しとも言えるのだ。
設計士であり建築家として活躍したエッフェルはこの塔の計画前からヨーロッパ各地の鉄橋などの設計や建築を手がけた「鉄のスペシャリスト」だった。多くの建築実績を持つ当時の最先端の知識と経験を持つプロフェッショナルだった。
エッフェル塔は彼がいなければ誕生せず、彼の知識と経験そして揺るぎなき自信なしでは現存しなかった世界遺産なのだ。
今日は年度末。明日4月1日から新しい学校や会社の一員となる人や、新しいクラスや組織の仲間となる人も多いだろう。また平成に変わる新しい元号が発表される日でもある。
明日からの新しいスタートの日を前に、130年前のエッフェルの未知への挑戦を思い勇気をもらおう。
新しい挑戦をするということは、多くの人からの批判を受けがちだ。
それは未知への挑戦の地図は他者とは共有できないものだからだ。想像力や常識の範疇を超える行動を起こした人に対して、多くの人は違和感を感じ排除しようとする。時に攻撃的になることさえある。エッフェル塔が芸術家たちから強烈な反対意見を受けたように。
新しい挑戦は批判を受けやすい。しかし自分が正しいと信じる挑戦を続ければ、時間がかかるかもしれないけれど必ず評価されるはずだ。逆に言えば、評価されるのは挑戦する時ではなく挑戦し続けた先ということだだろう。
今日は3月31日。130年前のエッフェルは自分の信念を貫いて建設したエッフェル塔を眺め、1世紀を経ても世界中から愛され続けるその姿を想像しただろう。その未来予想図は挑戦した者の目にしか見えないものだから。