自分の武器を掴み取った瞬間
自分が「企画力」や「アイデア」出しが得意だという自信が確信に変わった瞬間を、今でもはっきり覚えている。
それは、日本中が熱狂した2002年の前年。
日本で初めてサッカーのワールドカップが開催される数ヶ月前のことだった。
世界最大のスポーツ大会の公式メディア
前回大会が開催された1998年、サッカー日本代表はワールドカップに初出場し、日本中でサッカー旋風が吹き荒れていた。
2002年、初のアジア開催、そして初の自国開催となったワールドカップを迎え、その熱が何十倍にも膨れ上がり、日本中はサッカー一色といっていいフィーバーぶりだった。
そのサッカー熱を見越し、大手出版社の講談社がFIFA公式メディアとして大会ガイドブックや公式プログラムなどを制作する権利を取得した。
日本発信の大会公式ガイドブックは、それぞれの国の言葉に翻訳されて世界60ヵ国で300万部以上の発行が予定されていた。
試合会場内で唯一販売される大会公式プログラムは、世界中からやってくるサポーターのお土産として、たくさんの購入が見込まれていた。
もちろん、FIFA公認ということで、世界中に流通する内容のため、間違いは絶対に許されないのはもちろん、世界各国で異なる捉え方に細心の注意を払って制作する必要があった。
大事な企画会議に参加できた幸運
講談社がFIFAからメディア独占権を購入したのは、大会までにじゅうぶんな時間を残した時期だった。
投入された予算は巨額で、大手出版社としての威信をかけた一大プロジェクトだった。
そんな一連の大会公式制作物をつくるため、社内外のサッカー報道のエキスパートが集結して、講談社内にプロジェクトチームが結成された。
プロジェクトチームはすでにかなり前から始動していたが、僕はラッキーなことに、途中参加の形でその企画会議に参加するチャンスを得た。
煮詰まった会議
初めて参加した企画会議で、一番最後にチームに加わった僕が座ったのはもちろん最末席。
大きな会議室のテーブルの一番向こう側に、議長を務める編集長の姿がなんとか見える場所だった。
初参加のその会議はいきなり紛糾していた。
議題は「試合会場で販売する大会公式プログラムの巻頭コラムを誰にオファーするか?」
アジア初のサッカーの祭典、世界中から訪れるサッカーファンやメディアが手に取る大会公式プログラム。
その最初のページを飾る大事な文章。
それ以外のページについては、おおかた方向性は決まっているようだったが、〝メディアの顔〟が決まらないことには、それ以降のページの色も決まらない。
日本でも馴染みの深いスポーツ小説を出していたイギリス人作家や、日本のノンフィクション作家の名前など、何人もの名前が挙がっては宙に浮いた。
長くサッカーを取材したり、数多くのサッカー関連書籍を編集しているエキスパートたちが同意するアイデアを出すことが、誰もできないまま会議時間だけが過ぎていった。
「運命の力」が味方した瞬間
誰もが候補者名を出せなくなり、沈黙が続いていた。
そんな中、僕は思い切って、ひとりのイギリス人ジャーナリストの名前を提案してみた。
反応はゼロ。
熟練のメディア・エキスパートたちだったが、意外にもその名前を誰も知らなかった。
自分は「変化球のアイデア」を出したつもりではなかった。
自分がワールドカップのスタジアムに座った時、一番読みたいと感じた作家の名前を挙げたつもりだったので、会議室の微妙な空気に戸惑った。
自分のデビュー戦は散々な結果に終わった……と思っていた。
しかし、その数日後に、大きな運命の力が僕の味方をしてくれた。
自分の武器への自信が確信に変わった
数日後のニュースで、海外の老舗大手メディアが、僕が提案した作家を2002年の日韓ワールドカップの特派員に任命し、期間中、その作家によるメイン記事の連載が発表されたのだ。
すぐに編集長に呼び出され、「ツテはあるのか?」と聞かれた。
偶然にも、つい最近仕事をした翻訳家が、老舗大手メディアの日本版に掲載されるその作家の記事の翻訳担当に起用されていた。
それが、プロジェクトチームに一番最後に加わった末席の僕が、プロジェクトの〝顔〟を担当することに決まった瞬間だった。
このことがきっかけで、僕はその後、このチームの中の序列が一気に上がり、ついには大会期間中、一番重要な仕事を任されるまでになっていた。
今回の教訓
企画やアイデアは、天から突然降って来るものではない。
それは誰もが、普段の仕事の中で身に沁みて感じることだろう。
けれど「ここぞ!」という時に、乾坤一擲の企画案やアイデアを出せるかどうかは、それまでの「準備」にかかっている、と僕は考えている。
それは「お勉強」的な事前準備のイメージでは決してない。
事前の予告なく企画やアイデアを求められることも少なくないからだ。
その千載一遇のチャンスをものにできるかどうかが人生を大きく変える。
僕が実践してきた企画やアイデアの「準備」について、今後じっくり書いていきたいと思っている。