「賢い人」をめざした合理化・効率化の追求に先にある意外な落とし穴

2025.4.4

伊部塁 「人生再構成」BLUEPRINT代表

フリーランスって、サラリーマンと違い、好きな時間に好きなことができることが大きな魅力。

毎日定時に満員電車に乗る必要もないし、ランチタイムは混雑時間を避けながら、人気店で悠々と食べることができる。

スポーツジムだって、始業時間前や就業時間後、週末の混雑を避け、平日の真っ昼間に行くことができる。

 

フリーランスは時間に縛られない。

フリーランスは、自分で好きな時間を選べる。

だからこそ、平日の昼間の中でも、同じ器具を使う特定のあの人とバッティングしないよう、さらに細かく時間帯を選んでスポーツジムに行くことができる。

 

そうやって

『この時間はあの器具を毎日使うおじさんがいるから避けよう』

『12時前は昼ごはんを家で食べようとするおじいさんたちでロッカーが混むから避けよう』

と思っているうちに、知らず知らずのうちに、どんどん自分がスポーツジムに行く時間が決まっていく。

 

でも、そこまでして、ストレスがないように綿密にスケジューリングしているにもかかわらず、いつもの時間帯より遅れて器具を使うおじいさんがいたりして、それがストレスを生んだりすることも少なくない。

そして、他人のせいで、自分のスケジューリングをさらに細かく微調整していくことが、さらなるストレスになっていく……。

あれっ、フリーランスって、自由なんじゃなかったっけ?

 

ある日、ふと気づく。

自分の好きな時間に好きなことができるという「自由」を与えられているにもかかわらず、その中で縁もゆかりもない他人の都合に合わせて、自ら進んで「不自由」になっている自分がいることに。

自分、全然「自由」に生きていないな、と。

 

でも、これって、もしかしてサラリーマンの人にも当てはまったりしないだろうか。

朝は何時に家を出ると、徒歩何分で最寄駅に着き、何時何分発の電車に乗る。

ホームで電車を待つのは何号車の何番目の扉の前。

下車する人を見送ったら、向こう側の出入り口付近の隅に立つ。

そうすると、自分が降りる駅で改札向かう階段の目の前になる。

何年も毎朝続けている通勤で磨き上げた最適化マイルール。

 

合理的で効率的な行動パターン。

しかし、毎朝のように誰かに邪魔されて、朝からストレスが溜まっていく。

 

家族のせいで家を出る時間が少し遅れた。

急いで1階まで降りたいのマンションのエレベーターで、子ども連れのファミリーがのんびり乗ってきた。

慌てて歩くも、目の前に横並びでダラダラ歩く学生たちや、スマホを凝視して道を塞ぐ若者に行く手を阻まれる。

自分が決めているホームの定位置に、すでに何人もの人が待っている。

はるか遠い駅でのトラブルのせいで、いつもの電車が定刻から遅れてやって来る。

電車の中のベストポジションに、旅行客のスーツケースが置いてあって立てない。

 

合理化・効率化を極めようとするほど、常にわずかな誤差が生まれ、ストレスは溜まっていく。

 

そんな時、ふと思い出す。

朝、追い抜いた横並びでダラダラ歩く学生たちが、とても楽しそうだったことを。

彼ら彼女たちは、自分が乗る電車の時間も気にせず、今、友だちと歩くこの時間を純粋に楽しんでいる。

 

翻って、自分は?

合理化・効率化を極めて、「賢い自分」を気取っているが、その意識は常に先回りで、「今」を全然生きていない。

「今」を全然楽しんでいない。

 

「自由」に生きる、「自分らしく」生きるって、サラリーマンかフリーランスかに関係なく、自分の考え方次第なのではないか。

4月がスタートして、新しい生活パターンを模索している人たちは、合理的・効率的を意識し過ぎることのしっぺ返しを、ぜひ頭の片隅に置いておいてもらいたい。