「念のため」「万が一に備えて」は日本特有の文化?
日本で開催された開幕戦が盛り上がったこともあり、今シーズンのメジャーリーグは昨年以上に試合結果や日本人選手の活躍ぶりが連日ニュースに取り上げられています。
そんな中、大谷翔平選手に対して、昨シーズンに打者に専念して50-50など素晴らしい成績を収めたこともあって、二刀流の復活が予想される今シーズンも「打者に専念したほうがいいのでは?」という声も上がっているようです。
DHとして打者に専念すれば、昨シーズン以上の記録が期待できるんじゃないかという声。
そもそもドジャースの投手陣が充実している今、チームとしては無理に二刀流にチャレンジしてほしくないんじゃないかという予想。
また、ピッチャーとして復活するなら、ケガの危険があるスライディングをする盗塁はセーブすべきという声。
牽制で帰塁する際に手をケガするかもしれないから、あまりリードはとらないほうがいいのでは?という意見。
それらは、大谷翔平選手にさらなる活躍を期待しているという大前提から出ているのは間違いないでしょう。
あくまでも好意的な心配の声が出るのも、大谷翔平選手が日本の多くの人たちに愛されている証拠でもあると言えます。
果たして、こういう「大事を取ったほうがいい」という意見は、アメリカでも出ているのでしょうか?
きっと大谷翔平選手本人からすれば、そんなことは自分でいろいろ考えているから放っておいてほしい、というのは本音なはず。
「念のため……」「万が一があってはいけないから……」という外野の声は、まるで「出る杭は打たれる」の変形版のように感じるのは私だけでしょうか?

相手のことを心配しているはずが、相手の可能性を狭めてしまっている
3月に入ってあたたかくなったこともってジョギングを始めました。
朝早く起きて自然の中を走るのはとても気持ち良く、忙しい中でも毎日続けることができていました。
しかし、3月の後半、風邪のような症状が出て、走ることができなくなってしまいました。
熱は無いし、寝込むほどでもないのですが、どうも体が重く怠い。
残念でしたが、しばらく走ることをやめることにしました。
家族や親しい友人にそのことを話すと、誰もが「急に走り始めたせいで、体が参ったんだよ」「やっぱり無理はいけないよ」と言って「走るのはやめたほうがいい」と言う。
誰一人として「回復したら、また走れるようになるよ」と言ってくれる人はいませんでした。
きっと、そうやって私たちは「できる範囲」「無理ない範囲」で生きていくことを、好意というオブラートに包んでお互いに強要する社会に無自覚に生きてきたのでしょう。
その結果、「できる範囲」がどんどん狭まっていき、気がつけば最低限のルーティンしかできないような縮こまった心身の人たちをどんどん量産してしまっているのではないでしょうか。

筋トレによる筋肉痛は「成果」だと思うのに……
多くの人も、若い頃は筋トレをした翌日に筋肉痛が出たら、「頑張った証」として前向きに受け止めたはず。
筋肉痛が出たからといって、「やっぱり筋トレはやめよう」とはならなかったはずではないでしょうか。
何か「成長」「進化」をめざす時に、それまでよりも頑張った結果、マイナスの症状が出ることを、社会全体で受け入れる。
会社でも、個人でも、アスリートでも、芸能人でも、サラリーマンでも、おじさんでも、子どもでも。
何かを頑張ろうと決めて、トライし始めた人を温かい目で見守り、小さな壁にぶつかった時は、自重を促すのではなく、周囲のみんなでも励ますような社会にしたい。
まずは、自分がその精神を忘れないように。
周囲に「挑戦する」人が現れたら、細かい懸念事項は脇に置いておいて、とにかく全力で応援することを忘れないように。