日本人監督と外国人監督の違いをどう考える?

2018.7.18

livest!編集部

日本人監督と外国人監督の違いをどう受け止めるか?

リアルアンサー

2018年7月4日の質問

ワールドカップ2018ロシア大会はフランスの優勝で幕を閉じましたが、日本代表は大会前の期待を大きく上回る結果と内容を残し、国内はもちろん世界中に存在感を示しました。

改めて振り返えると、日本代表は大会直前に前監督の解任という大きな転換点がありました。
西野朗監督の辞任後、次の新たな代表監督の発表はまだですが、外国人監督から日本人監督への交代となった今大会の監督交代劇について、その功罪は今後も議論されるでしょう。

ブラジルでの選手時代はもちろん、日本でもジーコの兄エドゥと活動を経験するなど、外国人指導者のもとでプレーする経験も多い安彦考真選手は、外国人監督と日本人監督の違いをどのような点において強く感じますか?
また現在の日本サッカー界、特に代表での「外国人監督か、日本人監督か」という議題について、どのような意見を持ちますか?

 国籍よりも監督の持つ「世界観」を重視せよ

安彦考真選手の回答

僕はブラジル時代も合わせると6人の外国人監督と接してきました。(全部ブラジル人ですが…)
直接指導は受けていませんが、アヤックスやドルトムントの指導者とも交流させてもらいました。

その観点からみると、外国人指導者と日本人指導者の違いは「ミスへの概念」です。

外国人指導者(すべてとは言えないが……)は、ミスを目印に答えを導いていくのに対し、日本人指導者はミスに罰を与えて終わらせる。外国人指導者はミスをさせないために間接的なアプローチをするのに対し、日本人指導者はミスをしたことに対し「腕立て100回」的な直接的発想でアプローチをする--そんな違いを感じます。

 

お互いに求めるゴールは同じですが、根本的なアプローチが違います。
それはミスが前提で、如何にしてもその数を減らせるかという外国人指導者の観点と、ミスはあってはいけないということが前提で、如何にしてもミスをしないかという日本人指導者の観点です。

例えば、小学生の時など我々の時代は忘れ物をすると「ゲンコツ」を喰らいました。
その恐怖が忘れ物をしないに繋がったことは間違いありません。しかし、ことサッカーに関しては、同じ方法は結果的にマイナスになります。

その点、外国人指導者はミスが前提なのでミスに罰を当てるというより原因追求型の指導をします。
過度なプレッシャーがミスに繋がっているなら「決めろ」「ちゃんとパスしろ」などの掛け声は一切ありませんでした。

 

日本人指導者は、競技をベースに勝ち負けが全ての世界だと捉えている傾向が非常に強いと感じます。
外国人指導者はスポーツをエンターテイメントと捉えて、その中に勝ち負けという結果を見ていると感じます。

それはどういうことかというと、勝ち負けをサポーターに届けるという概念と、勝ち負け共有してサポーターを巻き込むという概念の違いとも言えます。

もちろん文化の違いなどありますが、これだけグローバル化が進み世界との距離が近くなった今(サッカーレベルの距離ではない)、文化や習慣はさほど関係ないと思います。それよりも、その監督が持っている「世界観」が大きいのです。

その監督が影響を受けた「こと」や「人」が誰なのかで、その人が考える世界観は変わります。
日本人で言えば、間違いなく「日本教育」という独特の世界観の中で生きて来ています。

部活はその最たるものでしょう。
ただ、部活が悪いのではなく、「部活」という出来事をどう捉えるかはその人の世界観が関係すると思います。

 

最後に、サッカー日本代表において、日本人監督か?外国人監督か?の議論への意見は、僕は外国人監督賛成派です。

「日本サッカーとは」が定まっていれば、日本人監督でいいと思いますが、未だ日本サッカーが何かが定まっていないのであれば、経験豊富でワールドカップを実際に戦ったことのある外国人監督を据えるべきだと思います。

これからの日本代表はより世界を経験する若い選手で溢れてきます。
日本代表という場を日本のためと思いつつも自分のアピールの場に使う選手も増えると考えられます。
その中で日本人監督がマネジメントするのは厳しい。
あと8年間は外国人監督で進み、この8年を使って「日本サッカーとは」を構築し、日本人監督をしっかり育成していくことが望ましいと思います。

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