移民の歴史と実情をリサーチしてわかったこと

2020.3.31

安彦考真

Jリーガー安彦考真「教育」について問う新プロジェクト(第2回)

 

「安彦考真×ブラジル 移民と教育を考えるプロジェクト (仮)」

第2回 2020年3月

安彦考真の取材リポート

「愛川町役場で移民の歴史と実情を訊く」

先日、リサーチを開始した愛川町に暮らす南米系の移民の人たちの実情について。現地視察だけでなく、地区を管理する自治体の担当者の方から現状について教えていただき、より多角的に理解しようと考えた。

そこで今回は、友人に紹介してもらい、愛川町役場の職員さんとお会いできることになった。

 

非常に興味はあるものの、実際には移民問題に対してまだまだ何も理解していないということもあり、実際には今どのような現状にあるのか、そもそもこの地域には現在何人くらいの南米系移民が暮らしているか、などいろいろと教えていただくことができた。

 

愛川町役場は、前回の訪問したスーパーマーケット「サボールラティーノ」から1分程のところ。

お忙しい中、対応してくださったのは愛川町役場の青山さん。

青山さんは僕の友人と予備校で一緒に学んだ縁で、その後も仲良くしているとのこと。共通の知人が気を利かせてくれたおかげで、僕が訪問する用件は既にある程度青山さんも把握してくださっていた。

 

青山さんは外国人労働者の方々とは直接的には関わる担当ではないとのことので、愛川町が管理する概要資料を元に状況を説明をしてくれた。

平成18年には907人いたブラジル人が、震災後から減少傾向にあり、平成25年には今まで一番少ない481人となった。そこから微増し、昨年(平成30年)には510人になっているとのこと。

震災後にブラジル人が日本で暮らすことに不安を抱えたことと、母国ブラジルがワールドカップやオリンピックで景気が上向きになったことから、帰国する人が増えたようだ。

しかし、実際に帰国してみると、景気が上向きなったのはごく一部のブラジル国民だけで、日本などに出稼ぎに行く国民にとっては、ブラジルに戻っても昔と変わらない環境が待っていたという。その結果、ここ数年でまた日本へと出稼ぎに来るブラジル人が少し増え始めたようだ。

 

面白いもので、ブラジルの隣国ペルーからもたくさんの外国人労働者が愛川町で暮らしているそうだが、彼らは震災後も帰国することなく日本にい続けているという。

青山さんは「お国柄」と表現していたが、確かにその通りの国民性がブラジル人にはあるように思える。良く言えばフットワークが軽い。言い方を変えれば、生活がいかに安定するかを最優先に考えて行動しているということだ。

ちなみに、ペルー人に関しては、今一番の問題は介護だという。昔からいるペルー人が高齢者となり介護を受けることになる。しかも問題は言葉を話せないという点らしい。

これはまた別アプローチでリサーチをしてみたいと思う。

青山さんと話をしたあと、実際にブラジル人やペルー人の労働者のために通訳となり、家を探したり、固定資産税の話をサポートしたりしている岩根さんと遠藤さんにもお会いすることができた。

岩根さん(写真左)は日系ブラジル人、遠藤さん(写真右)は純粋なペルー人。初対面の僕に対して、とっても親切に説明をしてくれた。

 

現在、愛川町では昔あった日産自動車の部品工場などがなくなり、南米系の移民たちが労働する場がどんどんなくなっているという。

そういう状況もあり、昔は「南米から日本へ出稼ぎに出る」というと工場のラインに入って働くのが定番だったが、今は物流の倉庫で品出しや仕分けをするようになったとのこと。

以前より工場が減って仕事が少なくなっている中でも、岩根さんや遠藤さんのような人がいるなど、愛川町では南米系移民のためのサポート体制が他と比べてしっかりしているようだ。

愛知県や三重県に住んでいるブラジル人からも、困ったことがあるとすぐに頻繁に岩根さんのもとに電話がかかってくるという。最近は「仕事を紹介して欲しい」と頼まれることも増えたという。

 

愛川町が他と比べてもサポート体制がしっかりしていると言える施策の1つに、公立の学校に「国際語学級」というクラスを設けて、ブラジル人など南米系の人たちが子どもを連れて来日した際に受け入れる環境を作っているとのこと。そこで、子どもたちに日本語を学べるようなシステムを作っているという。

そんな中でも僕が驚いたのは、給食でフェジョアーダが出るということ!!

フェジョアーダとはブラジルの国民的料理で、豆を煮込んだシンプルなもの。それが給食で出されると聞いて、南米からやってきた彼ら彼女たちのことをしっかり考えたサポート体制が確かに取られていると感じた。

ただ、ブラジル人やペルー人ら昔から多い南米系の人たちへのサポートはしっかりできているのだが、最近増えてきたフィリピンやタイ、ベトナムといった東南アジアから来た労働者へのサポートは現状はまだ行き届いてないという。この点も、新たにリサーチをかけていきたいと思う。

 

ちなみに「国際語学級」のある愛川町立中津小学校には、現在も10ヶ国以上の国の子どもたちが在席しているとのこと。ブラジルを含め、これまでに30ヶ国近く訪問した経験を持つ僕にとっては、ぜひ一度訪れて子どもたちと交流したいと思った。

僕が何気なくそんな話をすると、岩根さんが「教育委員会の方を紹介する」と言ってくれた。

そこで、僕たちはそのまま3階にある教育委員会の部屋に移動し、そこで教育主事の阿部さんを紹介してもらった。

早速、阿部さんに「中津小学校の国際語学級に訪問したい」と話すと、「ぜひ、今の子どもたちに話をしてもらいたい」と快諾。すぐに学校に問い合わせてくださった。

たった数時間の滞在でここまで広がるブラジル人の"フットワークの軽さ"には流石だなと改めて感じた。

今回、岩根さんや遠藤さん、阿部さんから実情をお聞きする中で、僕が1つ引っかかったのが、ブラジル人のハーフやブラジル同士の子どもが、スポーツ少年団のチームに受入れてもらえないという実態だった。

日系ブラジル人も国籍は日本ではなくブラジルの人が多いので、クラブチーム少年団が受け入れてくれない傾向があるということだった。それは単に差別ということだけではなく、選手登録の問題や言葉の壁が生じているのだと感じた。

また同時に、ブラジルをはじめ南米では「若くてもサッカーで成功すればお金を稼げる」というのが幼少からサッカーをする大きな理由の1つ。だから南米の子どもたちのほとんどは当たり前のようにみんながサッカー選手を目指す。

しかし日本ではそう簡単ではない。

日本では子ども時代でも公式戦に出場するためにはまずどこかの学校に所属しなければならない。たとえクラブチームの下部組織でプレーするとしても、公式戦に出場するための選手登録を果たすためには、義務教育期間はもちろん、ほとんどの場合、高校を卒業するまではどこかの学校に所属している必要がある。

南米ではただサッカーだけに取り組んで技を磨き、入団テストを受けたり、スカウトされることでプロにつながる道があるが、日本ではそんなやり方は通用しない。サッカーのプロとして活躍する前にやらなくてはいけないことが南米と比べると多く、彼らにとってはハードルが高すぎるのだ。

 

今回のリサーチで、「何故、日本代表にブラジル人ハーフがいないのか」という疑問の答えとなる一端が見えた気がする。

次回は、岩根さんや遠藤さんのサポートのおかげで、実際にブラジル人指導者が作ったクラブチームを訪問できることになった。岩根さんがその場でそのコーチに連絡をしてくれて、そのコーチも「ぜひ会いたい」と言ってくれたのだ。

彼らの練習の様子を見学するとともに、子どもたちの夢や目指す将来像を聞いて、僕にできるサポートが何かを考えてみたいと思う。

 

 

第1回はこちら→ http://www.livest.net/real/4743.html

第3回はこちら→ http://www.livest.net/real/4781.html