【哲学】挑戦し続ける人のための哲学的ヒント
「挑戦者たちの哲学」
挑戦し続ける人生のためのヒント【哲学】
「挑戦」は常に不安や困難がつきまとう。それがたった1人での挑戦ならなおさら、仲間との挑戦であっても未知の道を突き進むのは強い信念と熱い情熱が欠かせない。
若い時でも、40代でも、アスリートでもアーティストでも、実際に挑戦の第一歩を踏み出し、恐る恐る歩むその道のりは不安ばかり。そして予想外の困難が次々と襲ってくる。
そんな時、強い信念と熱い情熱を保ち続けるために、【哲学】から学べることは少なくない。
挑戦し続ける人たちのために、livest!流「哲学」を綴っていく。
マルティン・ハイデガー
そのスパイクはあなたにとって単なる道具でしたか?
私たちはさまざまなモノに囲まれた世界で生きている。無意識に単に「物理的なモノ」で構成された世界の中で生きている。毎日忙しい時間を過ごす私たちはやるべきことが多すぎるので、それぞれのモノの意味を考える暇もない。
しかし、ハイデガーは「私たちが生きているこの世界は単なるモノで構成されているわけではない」という。
ハイデガーが説く本当の世界は、それぞれの人にとってある用途や意味を持ってモノは存在している。そして、その世界では「私」が目の前のモノに対して「今、求めている」気持ちによって意味が変わってくるという。
例えばコップなら、喉が渇いた時は「水を飲む入れ物」として存在し、花を買ったら「花を飾る花瓶」として存在し、夫婦喧嘩の際は「投げつける凶器」となることもある。
サッカーのスパイクは、遅刻しそうになって慌てて足を突っ込む時は単なる靴でしかない。
しかし、ただサッカーする時に履く「革製の靴」として捉えるのではなく、自分自身にとってのそのスパイクの存在の意味を思い起こすと、それは単なるスパイクではなくなってくる。
例えば、そのスパイクを自分の活躍を期待して両親がプレゼントしてくれたとしたら、その存在の意味を思い起こした時、それは単なる「サッカーをプレーする時に履く靴」ではなくなってくるだろう。
私たちが住むこの世界は万人が共通認識する意味や目的を持つモノで構成されている。そこでは、単に靴は靴であり、サッカーボールはサッカーボールであり、おにぎりはおにぎりだ。
しかし、じつはそれらのモノは私たち個々の気持ちに相関した個別的な「存在の意味を持つモノ」でもある。
その人にとっては、勇気を与えてくれるスパイクであり、仲間をつなぐボールであり、自分の健康を願う人が丹精込めて握ってくれたおにぎりとして、それぞれ意味を持って存在しているように。
ハイデガーの考える「私たちが生きる世界」では、単なる物質まみれの世界という表面的な意味を超え、向き合う人にとってそれぞれ存在する意味を持つモノに囲まれた世界だ。
そして、それらのモノに対してどのような深い意味を持って接するかによって、自分の生き方をどのようにでも選択できる「無限の可能性に溢れた世界」に私たちは生きていると教えてくれている。
お金を出せばたいていのモノは手に入る今、振り返れば普段の忙しさを言い訳にして無意識に便利さや効率性といった一面だけで自分の身の回りの世界を捉えていないだろうか。
あなたが今、練習に遅刻しそうになって急いで履こうとしているそのスパイクは、手に入れる時は単なる靴だっただろうか?
さまざまな思いを込めて手にした経緯を忘れて、いつでも買い替え可能なモノとして粗暴に扱ってはいないだろうか? 自身の人生の無限性を見失ってはいないだろうか?