なぜ、順調だったキャリアをすべて捨て、再出発しようとしたのか?
第3回:過去のキャリアを“再定義”する。リスタートのための編集術
ある春の午後、書斎の引き出しを整理していたら、十年以上前に使っていた取材ノートが出てきました。
角が丸くなったそのノートには、スポーツ選手への質問メモやラフな見出し案が書かれていて、めくるたびに、当時の空気がふわっと蘇ります。
「あのころの自分は、なんて必死だったんだろう」
そう思いながらも、どこか愛おしく感じたのは、そこに“今の自分”につながるものが、確かに存在していると感じたからかもしれません。
年齢を重ねると、ふとした瞬間にこんな考えが頭をよぎります。
——もう、新しいことなんてできないんじゃないか。
——これまでの経験なんて、今さら役に立つわけがない。
でも本当に、そうでしょうか。
過去は、しまい込むものではなく、見直すもの
長く働いていると、自分のキャリアの“棚”には、実にいろんなものが積み上がっていきます。
大きな成果もあれば、うまくいかなかった出来事、途中で終わったプロジェクト、ちょっとした失敗の記憶まで。
それらを「もういいや」と奥に押し込んでしまうのは、少しもったいない気がするのです。
私は編集の仕事を長くしてきましたが、「過去の素材をどう編集し直すか」によって、その価値が変わる瞬間を何度も目にしてきました。
一見、無意味に思える出来事も、角度を変えて眺めてみると、思いがけない“資源”に変わることがあるのです。
「編集」という目線で過去を見つめる
編集とは、ただ情報を並べる作業ではありません。
点在している出来事の間に、意味を通わせ、流れをつくることです。
私たち自身のキャリアも、同じように見つめ直すことができます。
たとえば、何気なく関わった社内プロジェクト。
当時は「あれは無駄だった」と思っていたことでも、時間が経って振り返ってみると、「あのとき学んだチームマネジメントが、いま活きている」と気づく瞬間があるものです。
過去を振り返るときは、事実だけを並べるのではなく、そこに自分がどう関わり、どんな気持ちでいたのかを、丁寧に見つめることが大切なのかもしれません。
「肩書き」ではなく、「役割」で語る
30代に入ると、自己紹介をするときに、つい「○○会社に勤めている」「大きなプロジェクトを担当していた」など、社歴や肩書き、過去の実績を使いたくなります。
でも、それはあくまで“外から見た自分”にすぎません。
大切なのは、「自分がどんな役割を果たしてきたか」という、内側の視点です。
たとえば、
・人の話をじっくり聞いて、整理するのが得意だった
・話しにくいことを言葉にして、伝えることができた
・チームの空気を読み、居心地のよい場をつくっていた
そんな自分の“ふるまい”に注目してみると、どんな現場にいても発揮できる「自分の本質的な価値」が見えてきます。
私自身も、編集者という肩書きを離れたあと、「人の想いや考えを引き出し、言葉にして伝える」という“役割”に気づいたことで、キャリア支援という新しい分野に自然と踏み出すことができました。
点と点を、線で結んでみる
キャリアを再定義するうえで、もうひとつ大切なのは、出来事を「点」ではなく「線」で見ることです。
過去に携わった仕事を「ただの羅列」として見るのではなく、「なぜその仕事を選んだのか」「どんな影響を受けたのか」「その後に何が生まれたのか」といった背景と心の動きを拾い上げていく。
たとえば、こんなふうに。
・出版社で編集の仕事をした → 企画を組み立て、人の話を形にする力を身につけた
・スポーツイベントをプロデュースした → チームとともに動き、人を巻き込む力が磨かれた
・哲学や心理学を学んだ → 見えないものに意味を見出す力が育った
点だった経験をこうしてつないでいくと、自分の人生には“流れ”があったことに気づきます。
それが、自分らしい物語のかたちをつくってくれるのです。
再定義のヒントになる3つの視点
過去を振り返るとき、私はよく3つの視点を使っています。
どれも特別なものではなく、身近な会話や日常のなかで使えるものです。
まず、棚卸しをすること
これまでやってきた仕事、関わった人、学んだこと、趣味……。
大きい・小さいに関わらず、心に残っているものを思いつくまま書き出してみる。
感情に注目すること
楽しかった瞬間、手応えを感じた出来事、逆に違和感や疲れを感じた経験。
「何が起きたか」より、「どう感じたか」が、その人らしさのヒントになります。
言葉にすること
たとえば、「会社の売上に貢献した」だけではなく、「他部門との関係を築きながら、共通の目標をつくる力があった」といったように、裏側にある力を、自分の言葉で表現してみるのです。
この3つの視点を使うと、過去は「消えていく記録」ではなく、「これからをつくる素材」として立ち上がってきます。
“使い終わった経験”なんて、ひとつもない
人は誰でも、自分のなかに「もう使えない」と感じている部分を持っているかもしれません。
でもそれは、本当に“使えない”のではなく、“使い直していない”だけなのだと思います。
すり減ったように見える過去の経験も、「編集」という視点で見直せば、そこに新しい役割が眠っていることに気づきます。
何かを加えるのではなく、すでにあるものを丁寧に見つめ直す。
それは、人生における静かで力強い再出発の方法なのかもしれません。
おわりに:物語を語れる人になるということ
これからの時代、どんなスキルを持っているかよりも「自分の物語を明確にし、それを自分の言葉で語れるかどうか」が問われるように思います。
それは、人に何かを説明するためだけでなく、自分自身に対して「今、ここにいる理由」を言葉にするということです。
たとえ思い通りにはいかなかったという苦い経験でさえ「あれがあったからこそ、今がある」と言えるようになれば、その人の中の「自分の物語」はきっと多くの人に語るにふさわしい魅力的な物語となっているはずです。
次回予告
次回は、「学び直し」についてお話しします。
哲学、芸術、心理学、脳科学——。
いったん立ち止まり、あらためて“知ること”と向き合った時間は、私にとって心の再起動でした。
人生後半に訪れる知的な好奇心が、キャリアの可能性をどう広げていくのか。
その旅の記録を、そっと綴ってみたいと思います。